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修論×宗論×終論については、修論へと向けて、「魂」を主題とした雑文を書いたところだったからです。日本には、地獄や極楽、解脱、悟りといった概念がありますが、現代においてはアクチャリティーが薄いように思われ、また、キリスト教的な「天国」という言葉との差異が大きいようにも思い、そこには良くも悪くも「日本らしさ」といったものが関わっているのではないか、「生の終わり」はどのようなものなのか、そんなことを考えていました。
偉い文学者さんの家に住み込みをして、玄関番をするという状況は、現代ではなくなった風習であったとしても、何か、ロマンを掻き立てるものがありますね。「外科室」はクライマックスが衝撃的ですね。「その声、その呼吸、その姿、その声、その呼吸、その姿。伯爵夫人はうれしげに、いとあどけなき微笑を含みて高峰の手より手をはなし、ばったり、枕に伏すとぞ見えし、唇の色変わりたり」という件です。「その声、その呼吸、その姿」を二度繰り返すところがポイントですね。勢いのいい、現代では真似のできない、七五調の文体の味が出ていますね。「義血侠血」は白糸の男気と、凛々しさに打たれます。お金を盗られたあげく、物取りに入って逆につかまってしまい、その白糸に、審問の席で、偽りを明かせと欣弥が迫ることになる、息をつかせぬ展開は凄絶ですね。正義と愛のために死んでしまうところは、ジャパニーズクールの持つ味であり、僕の感覚にはしっくりとくるものがあります。音丸さんのおっしゃる、「テーマソング」って、気になりますねー。「高丘親王航海記」は、枠組みとしては「ガリバー旅行記」を、ユーモアのセンスは北杜夫のものを、想起させられました。ここで展開されている、メタフィジカルな魂観と、夢に関する描写は、悪魔学と、三島の死を経過した後にたどり着いた渋沢の境地として、考えなければいけない重要なものを含むように思いました。
最近は、ゼミで扱うので、柳美里の「八月の果て」を読みました。従軍慰安婦に関する問題がはらまれ、僕自身、靖国における魂の問題についてとあわせて、何かしら批評したい気がするのですが、まず、滑走路の準備から始めなければいけない類の問題作ですね。それから、公房の「箱男」を読みました。哲学的な議論が踏まえられて書かれたものであり、昔読んだときはよく分からなかったのですが、読み返してみると、わりと明晰に論理化できる所があるかなと思いました。思索の楽しみを味わえる小説だと思います。
音丸さんのおっしゃる、「温故知新」は僕も重要だと思います。近年、若手の文学者に文学賞を受賞させる傾向が続きました。これ自体は、若い人でも文学の世界に入りやすくなり、また、多くの人の耳目を集めることにもなり、肯定されるべきことのように思います。人が生きていれば、その人の過ごした生はすべて、ある種の文学であると言えるかもしれず、フレッシュな血が導入されていくのはいいことだと思います。しかし、一方で、第一に、村上龍や、山田詠美の提供した文学のフィールド内で、似たものを再生産してはいないか、第二に、若手の文学者が古典に親しむ場合、一点集中の模倣になってしまっていないか、といった危惧も覚えます。「温故知新」をキーワードに、この状況を突破していく必要があると思います。
音丸さんが作家のライフスタイル等の作家論的側面に興味をお持ちだというのは、どんな作家のどんなエピソードが好き等、何かありましたらおうかがいしてみたいかもしれません。さてさて、それにしても、人生、楽しんで生きるのが一番ですね。ぼくも、いろいろな映画を見るなど、適当にノンビリしたいかもです。
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