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集合時間に間に合わなくても、どなたでもお気軽に、飲み会のほう、ご参加ください。下の名前からぼくの携帯にメールを送れます。

 投稿者:松平耕一  投稿日:2006年 2月21日(火)03時49分37秒
  通報 返信・引用 編集済
  >工大生くん

 遅くなってでも、是非ご参加下されば嬉しいです。ご自分の論文への評価がバラバラだったという話、ぼくにも経験があります。論文であれ、論文でないものであれ、プロの書いたものであれ、そうでないものであれ、書かれた文章への評価というものは、あらゆる文章において、肯定することも否定することもできるように思えるのです。この現象を、ぼくは大庭みな子の小説のタイトルから、「山姥の微笑み」と名づけています。評価のための立脚点というものをどう構築するのかが、「山姥の微笑み」の、次の段階で必要となってくるようにも思われます。そこには美学の問題が絡むように思います。

>蔵田くん

 話しかけづらいムードをいつも出していて、申し訳ございません。どのように人と接すればいいのか、分からないのです。飲み会の方、是非お待ちしております。
 もしも、「車輪の下」にいるような気持ちを抱えつつ、仕事をしつづけなければならないのだとしたら、それほどに辛いことはないでしょうね。『枯木灘』の竹原秋幸のごとく、土方の労働の中に、「自由」を感じることができたなら、幸せなことなのだろうと思います。
 かつてぼくは蔵田君の前で、「毎日英語ばかり勉強していてつまらない」とこぼしたことがありました。それに対し、「英語を毎日勉強できるなんて羨ましい」と蔵田君に諭され、そのような発想があったのかと驚き、恥ずかしくなりました。その言葉に支えられて、勉強嫌いなぼくですが、しぶとく学生を続けた、ということもあるかもしれません。そしてまた、幼児のころから言語能力も知能指数も低かったぼくなどを、学部のみならず、院にまでも入れていただき、学習する機会を与えてくださった法政大学には本当に感謝をしています。さしあたって、大学をはなれ、これまでよりも多めに仕事をし、座禅を組みながら、本当に自分のしたいことは何なのかを考えてみようかな、と思っています。
 ところで、ことば、とは何なのでしょうか。言葉というものの成立する場面をいくつかの類型にわけて考えてみたいと思います。ぼくはかつて、学校というものが嫌いでした。学校の授業で展開されている話題というものに興味がもてず、先生の話を強制的に聞かされているようなのがいやで、いつもぼんやりしていました。しかし、高三の受験のころ、予備校に通うようになり、それらの講義に深く感動しました。国算理社英の五教科には、すべてにつらなって流れる論理というものがある、そのようなヒントを見たように思います。そのことと関連して、アリストテレスやプラトンにおいて、論理と美と神が相互にどのような関係にあるのか、興味を抱いてます。
 次に、友情や恋愛における言葉というものを考えてみます。友達とのばか話や、恋のささやきというものは、なにかしら否応なく、第三項を排除することでしか、楽しむことのできないものではないかと思います。セックスの最中の眼が怖い、とぼくはしばしば女の子に指摘されたものです。セックスをしている、ぼくと女の子の二人をみつめる、「第三者の眼」、そんな眼が、その最中のぼくには開いているのかもしれない。相手としては興醒めすることでしょう。ぼくはしばらく、友情というものと、恋愛というものに没交渉にしていました。
 また、職場における言葉というものがあります。労働の現場では、基本的には個性というものは重要性を持たず、労働力というものは商品化されてある。バイトは社員に服従し、社員は社長に服従する。社長はお客に服従する。そして、これらの関係性すべてを支配するものであり、組織自体および、売買というものを成立させているものとして、「言葉」の力というものがあるのではないか。仕事場では、上司の言葉や、顧客の言葉にうまく服従できる能力が最重要となるのではないか。話は少しずれますが、いったいに、職場というものを描いた文学作品が少ない。最近の芥川賞受賞作、「沖で待つ」は職というものを場面に選んだという一点でだけでも、いい作品だったように思います。
 さて、『聖書』の「ヨハネによる福音書」には次のようにあります。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」
 ぼくは、「究極の革命」というものがもしあるとしたら、それは「言葉」をうち滅ぼすようなものなのではないのかと考えることがあります。しかし、長くなりすぎたので、今回はここまでにします。
 
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