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「必読書150」を読む会

 投稿者:松平耕一  投稿日:2006年 3月13日(月)06時51分5秒
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   飲み会は蔵田君が参加してくれてとても嬉しかったです。社会人になっても、なお一層知見を広められている蔵田君の知識力と胆力に感嘆しました。ぜひまたお話ししましょう。会って話さないと、細かい部分の意見や思想に関していやおうなく生ずる誤差が、うまく修正できないところがあるもので、そういったところが前々から心残りでした。途中、話をさえぎってしまって申し訳なかったです。蔵田君の力強い言葉をまた、お聞きしたいです。
 生活に根ざした文学こそがいい文学だと、ぼくは思っておりました。漱石の『それから』であるとか、谷崎の『異端者の悲しみ』であるとかは、三十近いインテリの若者が家でごろごろしている話でして、ぼくはそれらを読むと、反面教師というか、げんなりしてしまって冷静ではいられない。二葉亭四迷の『浮雲』以来、日本の近代文学でしばしば登場する舞台設定でして、ここにはなんらかの意味が付与されうるのかもしれませんが、ぼくもまたそんな状況にあります。ぼくはいま、固定された視点を切に求めてもいます。「しるし」、を求めていると言ってもいいです。吉本隆明は24時間を社会人として生き、25時間目に文学をせよといった趣旨のことをのべていますが、しかし、社会人をしながら文学や知をこころざすことは、なかなか、半身を引き裂かれてあるようなことなのかもしれませんね。
 それにしても、人間にとって「私」とは何であるのだろう。『死霊』には、革命家とはうまれつき額に「しるし」を持った人のことではない、という言葉が登場します。そうではなくて、醒めた自意識を持ったものはいつでもそのとき革命家になってしまうのだ、と三輪高志は述べるのです。額にある「しるし」というものがぼくには最近、ひどく気になります。自分はある民族に属しているとか、男であるとか、女であるとか、私は私であるとかいったことは、「ことば」であって、ある種の、額にあると、思わざるをえない、思わされてしまう「しるし」のようなもので、本当は実体的なものではないのではないか。また、それと同時的に、社会人になるとは、額にしるしをくっつけるイニシエーションと密接に絡み合うのではないか。しかし、労働のなかで、「しるし」を実感できるのはしばしば、少数のものに限られ、それは瞬間的なものでもあるのではないか。そして、経済的状況や、法律的、文化的問題、国家間のパワーバランスや、国家による「国民」という規定の問題等、実体的なことがらがもちろん含まれ、それらをそれぞれに細かく分析する必要もあるのですが、マイノリティの問題も一部、この額にある「しるし」というものと、関わりがあるように思われるのです。私は私であるという誇らかな叫びは、いったいつ、どこで叫ばれるのだろう。そんなことを考えています。
 『死霊』を読んでいる人自体が少ないため、四月の読書会はこっそり、しっぽりな会になるかもしれません。会の名前は「「必読書150」を読む会」とつけました。「必読書150」って何?とか、いまさら「必読書150」かよ、といった声も聞こえてきそうです。ぼくが「日本文学研究会」に参加していたとき、読書会で扱う作品に何を選ぶかにとても苦労し、読書会で、どんな作品を扱うかがその会合の性質の根本を左右するものだと学びました。「「必読書150」を読む会」という会名は、次のリストにある作品を話題の設定として選ぶ、という以上のものでしかありません。
 http://www.gem.hi-ho.ne.jp/yamame/sub5.html
 月に一回ほど、土曜か日曜の設定で行おうかと思います。このリストの中にある本で、他人と何かを語り合ってみたいという方がいらっしゃいましたならどなたも、松平に直接言っていただくか、あるいは、こちらの掲示板で提起していただければ嬉しく思います。
 http://sea.advenbbs.net/bbs/rec3776.htm
 さまざまなスポーツや、ゲームの中から、たまたまサッカーを選び、サッカーを選んだからには、二つのボールを使うのではなく、一つのボールを蹴ろう、といった程度のものです。
 
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