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職場でも学校でも孤立無援な私です。とても寂しいので、MSNメッセンジャーによる話し相手を募集しています。気軽にメンバーに追加していただいて、話しかけていただければと思います。この掲示板の話題や、読書会やサイトの内容についての質問、意見、批判も歓迎いたします。私のアドレスはyamame_5@hotmail.comです。
オタク的な話題をこの掲示板で展開するつもりはありませんが、オタクとは何か、という考察についてなら興味があります。オタクとは何かを検討していく過程で、文学や批評のありうべき姿が見えてくるように思われるからです。オタクにとって美とは何か。日本で使われるオタクという言葉は歴史的に比較的新しいものでありながら、さまざまな意味が付与され広がりがあり、人によってそのイメージされるところのものも異なってきて、定義は一様なものとはなりえないでしょう。しかし、オタクというものの第一の特徴は、単簡にいって、美というものが彼岸にあるものであり、到達することは不可能なものだと認知しつつも、その美に没頭する姿勢にあるように思われます。オタクとは実際には対応するもののない虚像を、仮に実体的なものとしてとらえるものであり、このとき「オタクにとっての美」とは「虚体」とも呼べるようなものなのであるように思われるのです。あらゆることがグローバル化され、アメリカ的なものが世界中に浸透していくなかで、イスラム圏のものとは違った形で、日本のオタク的なサブカルチャーは、一つの、私は私であるというつぶやきを提出していることは間違いないでしょう。そこには一定の、世界に通用しうるスタンスが含まれているかもしれない。おそらく、オタクの起こりは日本文化の中で、過去へとさかのぼりうる。たとえば、日本文学のなかにもオタク的なものの流れはどこかしらから発現し、受け継がれてきているように思われることもあります。乱歩とか山田風太郎とかにはある種のオタク的な臭いが感じられますし、石川淳なんて人にも、その係累を見出せるように思われます。安部公房の「箱男」なんてものも、オタク論として読めるところがあるのではないでしょうか。
オタクというものの第二の特徴として、しばしば「キモい」とされることについて考えてみたいです。オタクにとっての美とはハイカルチャーに対比されて、社会的な評価が低いわけです。オタクの「キモさ」とは、オタクにとって、真善美のうちの、真と善が等閑視されてあるように考えられることと、快楽を他者と共有するのではなく、自己一人享楽するかのような姿勢に由来するのではないでしょうか。「オタクと道徳的善」にはどう関わりがあるのか、「オタクと論理的真」にはどう関わりがあるのか、といったことを、さらに言及しなければならないでしょう。
オタクには「数学オタク」といったような言葉もある。これはオタクという言葉を広義に使用した例でしょう。「数学オタク」の数学者にとって、美の対象たる数式にはセクシャルなものが含まれない。また、同時にこの「数学オタク」という言葉の運用法から、学者が学問を行うということが、ある種の「オタク的なもの」と、世間的には、同一視されうることがあるということの証左になっているように思われます。私にとって、数式を美とあがめ、愛する精神はおぼろげに分かるものですが、それは万人にとってもそうなのか。
セクシャルな快楽に対して禁欲的である学問――公教育制度と、セックスが商品化されて果たされてある風俗業界。セクシャルなものが婉曲的な形ではらまれつつ、セックスからは分離されてあるオタク市場。これらは日本文化において、三すくみを形成しているように思われるのですが、これらの三つを統一的に見る視点を持つことができないだろうか。そんなことを考えます。
halshinoさんはコンピューターグラフィックスの専門家でいらっしゃるということで、自然界の現象を追うことと、数学と物理のことについて言及されていますが、CGにおける
美とはどのようなものだとお考えでいらっしゃいますか。
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