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生活に根ざした文学、というのは一見大変わかりやすい言葉ですが、実はそれほど自明なことではないような気がしますね。つまり、我々は普通に生活しているだけで様々な場への出入りを余儀なくされている。新聞やテレビによって提示された世界に入り浸り、埴谷雄高の庭に勝手に住みついてみたり、デカルトのごとくとはいかないまでも、一日を省察に費やすこともある。生活という場には実に沢山の言葉が集まり、人ごみのようにすれ違っていくものと思われます。吉増剛三氏の話を聞くと、そういう言葉を丹念に書きとめていく仕事が詩人の役割なのかなぁ、などと考えたりいたします。
『夜明け前』の主人公、なんと言いましたか、忘れてしまいましたが。生活に根ざした文学として私が想起したのはこの作品でした。激動の時代、ちっぽけな生活と巨大な理想。その狭間で主人公は苦しみ、最後にはとうとう精神を病んでしまう。これは疑いないことですが、私が精神を病まないのは、『夜明け前』の主人公ほど潔癖でないからでしょう。堕落していられるからこそ、生き続けていられるのだと思っております。
「私は私であるという誇らかな叫びは、いったいいつ、どこで叫ばれるのだろう」という松平さんの文章を清々しい気持ちで読みました。今月、丸山真男の『現代政治の思想と行動』を読み、丸山がマルクス主義者ではなく、個人主義者であることを知りました。と同時に「狭い個人主義」を排斥していることも。この50年前の小論集の立場を、屍の上に建てられた戦後民主主義という一本の柱として、心に留めておきたい、そう思っています。
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