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死は敗北か

 投稿者:松平耕一  投稿日:2004年10月19日(火)21時38分25秒
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  >Legal_Anarchizmさん
 死というものの恐ろしさ。確かにそれは大問題ですね。また、あなたはいいことを言われました。「精神の肉体への優位」と。
ぼくは小学三年生のころ、「はだしのゲン」という映画を見て、死というものの恐ろしさに震撼しました。それ以来ぼくは死について、いつもいつも考えております。中学生のとき、ぼくはこんな体験を味わいました。「悪いんだけどさあ、ちょっと、あなた、死んでくれない?ある日学校に行くと、クラス全員がぼくの敵だった。ぼくの住んでいる世界とは、こんなにもろいものだったのか(重松清『ナイフ』)」。ヘーゲルではないですが、死を恐れぬ勇気を提示できるものだけが、主人として奴隷を支配できるのだと、そのとき実感しました。ぼくは二十歳のころまで、自殺のことを考えながら生きていました。三島はデビュー直後のころ近代文学同人の座談会で、「おれは血を見たいのだ。本当だぞ。」と叫びました。それは彼にとって、戦時中に血と汚濁で自己の手を汚したかもしれない第一次戦後派への嫉妬だったのかもしれません。そしてぼくもまた、殺人経験のある者を羨んでおります。
 さて、ご質問に対して答えましょう。経験不可能な領域にある死を判断しようとするとき、理性による推論には超越論的仮像が含まれざるをえないため、そこに恐ろしさを感じるのです。しかしハイデガーに頼るまでもなく、東洋思想的にいって、死という状態、無の状態を常態だと定位し、「死んでいること」を前提に生の側を見つめるとき、死への恐ろしさは減少するかもしれません。
 唯物論的に考えれば、存在(肉体)は意識(精神)への優位に立ち、意識は存在の中から生まれ、常に意識は存在に規定されざるを得ない。そのことに対する自由意志への発現として、埴谷が『死霊』五章で「自由の唯一の実践とは、自殺と子を産まぬことの二つしかない」と述べるのは、故なきことではないのでしょう。
 日本人は伝統的にしばしば真善美が幸福な一致を遂げた状態として「死」があるのだとそれを称揚し、結果としてハラキリや心中や特攻が行われました。残念ながら、ぼくにとって良く分かるところがあります。「生きている」ということにどんな価値があるというのか?別にいつ死んでも構わないのではないか?三大欲を追求し続け、生物的生存を続けるただの存在としての人間に、反省をせまり、意識の優位に立ち、人間は人間を超えなければならない。・・・そのような思想から、テロや戦争が起こるのだということも、あるのかもしれません。

>蔵田くん
ちょうど今、埴谷全集をごりごり読んでいるところでした。大学のゼミでちょうどこれから扱うエッセイでして、大変タイムリーな質問を頂き、ぼくの方こそ感謝しております。
 
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