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スレッド一覧

  1. 全力全開(1)
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(無題)

 投稿者:なし  投稿日:2018年 1月30日(火)21時54分4秒
  池田のブログタイトル 保守主義に未来はあるのか  
 

(無題)

 投稿者:なし  投稿日:2018年 1月27日(土)22時59分43秒
  西部邁という人が亡くなった
それに池田信夫がコメント
 

X-ミッション

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 1月22日(月)04時07分45秒
  すごい不思議な映画を見た。それはタイトルのものである。
普通、映画というのは安全を考慮して作られるものである
が、これはどこにもそんな仕掛けが見当たらなかったのだ。
それで非常に不思議に思ったわけである。
実際に、それはトップ・アスリートによる命がけの演技で
あったのである。この衝撃は実際に見てみないと言葉では
言い表せない。
ま、ジャッキーなどのカンフー映画についても当てはまる
わけであるが、それを明らかに凌駕していると言える。
 

金融工学

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 1月17日(水)23時10分20秒
  も、数学の応用部門として数学理論の中に統合される
のではないかと思う。
金融における条件をつければ単純に数学理論になると
思われる。私自身はそうした応用にはあまり興味がな
い。理論としては面白いかもしれないが、数学理論と
しての純粋性に欠けるし、現実に即しただけでは発展
性に乏しい。
もう少し一般理論に昇華できるのではないだろうか。
 

(無題)

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 1月17日(水)21時16分14秒
  >正規分布を仮定して計算するが現実はそうはならない

これはデータ量の問題だろう。サンプル数が少なければ
正規分布にはならない筈。少ないと、デコボコになる筈
である。
それに分布は必ずしも対称的になるとは限らないのであ
るから、それを仮定するのは明らかに誤りと言える。

因みに、株値は人為的操作によるものが大きいようであ
るから、計算によるよりはそれを元にした方が儲かるの
ではないかと思う。素人には所詮無理である。まず膨大
なデータの取得と高速処理が必要だろうからである。他
の後塵を拝したのでは儲けるのは難しいと思われる。
だから、その手法は銀行とか保険会社のように大手の金融
機関でなければだめだろう。
君がそれに執心している理由がイマイチ不明だ。
 

(無題)

 投稿者:なし  投稿日:2018年 1月17日(水)17時30分20秒
  池田のブログタイトル フィッシャー・ブラック
も参照
 

(無題)

 投稿者:なし  投稿日:2018年 1月17日(水)16時41分43秒
  正規分布を仮定して計算するが現実はそうはならない
とりあえず、その池田の記事読んでみて
また、池田が言っていたが、ブラックショールズ方程式のブラックは、もう少し長生きしてれば、マンデルブロと同じ見地に達していた
 

不可逆過程

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 1月17日(水)08時11分33秒
  これは非常に重要な概念である。
つまり、元には戻らない過程が存在するということ
である。
この端的な例は、「覆水盆に返らず」ということで
あるが、世の中こんな単純な例ばかりとは限らない。

契約事の多くはそれに含まれる。これが不可逆的と
なるのは、利益などが関係することによるものだろ
う。物的損傷によるものは少ないのではないか。
熱心に薦める契約というのは大概そのようなものと
言える。熱心であるからこそ、一度契約したら元に
はなかなか戻せないようになる。これは完全な不可
逆過程とはいえないものであるから、この認識を持
つことはあまりない。しかし、準不可逆過程として
十分に認識する必要があるだろう。

他の例としては、SEXも代表的だろう。不倫はそのよ
うな例である。不倫関係を知られない限りにおいて
は不可逆的であるが、大概はそれは長く続くことなる
ものであり、このため統計的にそれが知られる可能性
が高くなり、結果的に不倫は準不可逆過程であると
言える。
また、男女においてはその相違がある。男の場合には
可逆的であるが、女性の場合には不可逆過程になる可
能性が高い。つまり、妊娠して子供が生まれた場合に
は不可逆過程となる。また、この場合、男性がその責任
を取らされるような事態に陥れば、やはり男性も不可逆
過程となる。という意味では、双方が不可逆過程となる
可能性が高い。そこで、この責任の結果として結婚する
というのがこれまでの一般的パターンであっただろう。
もちろん、双方が未婚であるという条件であるが。しか
しながら、男性が責任をとって結婚するということも
相手が承諾しないということも少なくないだろう。つま
り、結婚相手としてあまり適当でないと判断することも
多いだろうからである。これは収入問題によるし、相手
の性格や容姿、年齢なども大いに関係するだろう。この
ような場合には円満な解決には至らず、修羅場となるこ
とも少なくないだろう。SEXにおける不可逆過程では、
そのような危険性が潜在している。

他に代表的なものは、他人の批判である。つまり知人や
友人などの批判であるが、多くの場合、それが相手に伝
わることがないものと思って言うわけであるが、しかし
おしゃべりな人やチクリ魔の人も少なくないわけであり、
そのような場合には相手に知られることになる。そうな
ると当人との人間関係の悪化は不可逆過程となることが
少なくない。この修復にはかなり長い時間が経過して
当人がそのことを忘れるのを待つか、金や物などで釣る
か、等のことを行うわけであるが、完全な修復には至ら
ないだろう。この意味において、他人の悪口は不可逆過
程となり得る。特に、それに金などが絡むようになると、
完全不可逆過程となり易い。欲望は人が望むものであり、
それが与えられると、人はそれにしがみつこうとするか
らである。この人間心理をよく理解していないと、何が
不可逆過程になるかを十分に判断できないことになる。
 

その前に

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 1月17日(水)03時13分48秒
  どう批判しているのか説明してくれないと。
私は金融工学には興味がないので。
 

(無題)

 投稿者:なし  投稿日:2018年 1月14日(日)21時34分38秒
  所で、マンデルブロの金融工学批判をどう思う?
池田信夫のブログタイトル 禁断の市場 を探して
 

不可逆的過程

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 1月14日(日)05時32分49秒
  とは、統計力学ではよく聞く言葉だ。
例えば、「覆水盆に返らず」というのがそれである。
これは統計力学的に不可逆的過程である。
確率的に水の各分子がそれぞれに適切なエネルギー
を得て元の場所に戻ることはあり得ないということ
である。したがって、こぼれた水などはきれいに拭
いて、また水などを入れるということになる。
ま、確率的に元の状態に戻すことが非常に困難なこ
とに対して不可逆的過程であるということになる。

人生においては似たような例としては契約前と契約後
がそれに該当するだろう。これまた確率的に不可逆的
過程となることも多いが、一般的に契約締結側の利益
確保のために不可逆過程ということになるだろう。
元の状態に戻すのが難しいというのはあまりないので
はないだろうか。なんだかんだと理由をつけては元に
戻せないということが多いだろう。欲が絡むと不可逆
過程になりがちで、意外にもこれは我々の盲点となる
のである。男女の結婚もそうだろう。離婚して元の
きれいな人間関係に戻すことは難しいのである。
そうした不可逆的過程から、人間不和が生じることに
なるものである。人が老化するのと同じように社会も
老化していき、これは人の入れ替えだけでは元に戻ら
ないということも多いだろう。この結果として、戦争
なども生じるようになるのだろう。それは何も欲から
生じているというよりは、社会の不可逆過程からよく
生じているものと思われる。
 

また

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 1月 8日(月)22時45分18秒
  情報を物理状態の上位概念であると捉えれば、
情報的世界の破壊が物理的世界の破壊を生じ
させることになるだろう。
しかし、一般的には情報は物理的状態における
従属的物とみなしていることから、上記見解を
取ることはないのである。
つまり、情報的変化が物理的状態変化を引き起
こすことはないと考えるのが普通だからである。
しかしながら、物理的状態が情報的状態と全く
無関係に安定であるのは単に統計的理由による
ものだろう。マクロの物理的状態は非常に多数
のミクロ状態によるものだからである。この統計
的安定性を考慮に入れていないのである。
ところが、マクロ状態でも確率的状態に分かれる
場合には不安定なものとなる。例えば、サイコロ
の目であるとか、麻雀の手であるとかである。こ
のような場合には、情報的状態が関与してくるこ
とになる。そして、これは比較的一般的状況であ
る。
 

というように

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 1月 8日(月)21時51分30秒
  考えれば、愚か者は意外にも多いということに
気づくだろう。賢人や愚者というのは相対的な
認識であり、したがってそれは単に相対的判断
にすぎないのである。(例えば、人はサルより
も賢いからといって人全体を賢くみることはな
い。大概は自分よりも劣った者を愚者と見なし、
自分よりも優れた者を賢人と見なすのである。
実際、東大生の間でも同様であるようだ。)
絶対的判断基準はどのように行動し得るかによ
って定められるものだろう。
 

物事が上手く進まない

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 1月 8日(月)21時43分59秒
  ときは、それには何か問題があることが少なくない。
もちろん、実現が難しいというものは除外してである
が。
一般的には確率的にある程度起こり得るにも関わらず、
それがなかなか起こらないというときは、それが起こ
った場合に何か問題があることが多いということであ
る。この意味で従順は一つの美徳でもある。
ところが、一般的に人は強情であるから、それを無理
にでも押し通そうとすることになる。それは愚か者の
悪徳である。
 

オリンピックロゴ

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 1月 8日(月)21時29分48秒
  と地震には全く因果関係がないと考えるだろう。
確かに物理的因果関係はない。
しかし、情報的因果関係がないとは言えない。
情報は物理的媒体を通して生じるものであるが、
直接的には物理的媒体と情報とは因果関係を持た
ない。因果関係は物理的状態に対して情報をどの
ように対応させるかということによるものである。
したがって、情報と物理状態は基本的に独立なも
の考えることができる。
ただし、基本的因果関係が成立してしまえば、こ
の関係によって物理状態と情報とが因果性を持つ
ことになる。
以上のように、基本的に情報と物理状態とは独立
的なものであるとみなせば、物理状態の上位的
位置づけとして情報があると看做すことができる
だろう。
とすれば、物理的事象は情報的関係から生じ得る
と考えることができる。つまり、それらには情報
的因果関係があると考えることができる。
予兆などは情報的因果関係から生じているものと
考えられる。全てを見通す「神の目」があるのだ
から。なお、これは1ドル札のことを言っている
わけではない。
因みに、多くの人間はそれを認めることはなく、
人に知られずに行う悪事に対しては何の罪の意識
を持たないものであるが、神はそれに対して因果
応報を行うことだろう。全ては神の部分にすぎな
いであろうからである。それには遠大な時間がか
かることになるかもしれないが、神はそれを自然
な形で現出させることになるだろう。それが神を
知らない者には効果的であるからだ。神罰として
生じさせたのでは、それを単に神のせいにするだ
けだろうからである。それではその者は何も学べ
ないということになる。
 

地震の目

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 1月 6日(土)03時18分52秒
  巨大地震が起こる前では、周辺の地震活動が活発化して、
その震源地をプロットするとドーナッツ状の輪になるこ
とが多いようであることから、ドーナッツ現象として
提唱している地震学者の木村政昭氏がいる。
 さらに進むと、ドーナッツの輪の中で小地震が頻発し
てくるようになり、これを地震の目と称している。
 年明け草々から関東周辺で地震が多いようで、どうも
ドーナッツの輪ができているように思える。
 茨城北部、埼玉県、千葉県、長野県、浦河沖など
東京湾辺りを中心とする輪ではなかろうか。小地震が
頻発するようになったら注意した方がよそさうである。
 それとは関係ないが、東京オリンピックのロゴマー
クは意味深に思える。パッと見た感じ、一松模様とい
うよりは断層破壊のように見えた。
 

エディ・ジョブソンの補足

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年12月30日(土)19時47分50秒
  彼がピアノの腕前や作曲能力として坂本龍一氏(通称坂本教授
と呼ばれていたが)よりも上という見方には異論を持つ人も
少なくないだろう。
坂本氏は、YMOのキーボード奏者として名を馳せ、その後の活躍
も華々しいものであったからである。私としては後年の活躍の
方を評価するのであるが。人工的音楽といえる、テクノは私の
趣味とは言い難かった。(これは聴いたCDが彼等の代表作では
なかったということも関係するかもしれない。創造性は水物で
あるからだ。)要するに、先が見えすぎるということである。
予想がつくものは、新規に得る情報とは言いがたいのであるか
ら、つまらないという印象になる。一度見た映画がつまらなく
なるのと同じである。もっとも、先が読めすぎないのは、もは
や情報とはいえず、それはただの騒音と区別がつかなくなる。
この辺のバランス感覚は人それぞれだろう。例えば、フリー
ジャズは私には音楽とは思えず、騒音という印象に近い。それ
でも我慢して聞いていれば、そこから何がしかの情報が得られ
るのかもしれない。彼等だって、やたらめったらと演奏してい
るわけではないだろうからである。しかも、ただのテク自慢と
しても、手が込みすぎている。テク自慢は普通は判り易いメロ
ディでありながら、やたらと運指が早いというのが特徴のもの
である。この最右翼は、ロック界ではキース・エマーソンと
言えたが、フリージャズのように難解なものではなかった。
因みに、彼は後年、指が思うように動かなくなり、それを非常
に気に病んでいたようである。日本公演の少し前、それが嵩じた
ためか、拳銃自殺するという驚くべき事態が発生した。(ELP
ファンとしてはまさに合掌という気持ちであった。)何もそこま
で追い詰めて考える必要はなかったのではないかと思われる。
風邪を引いたなどの嘘を言って、キャンセルできたのではないか
と思われるが、それは彼のプライドが許さなかったのかもしれな
い。
彼の場合、ELP時代よりも後年の方が凄まじい演奏をしていた。
これは"Moogfest"というDVDの中に見ることができる。ただ、この
時もある指がうまく動かないようで、少し弾き方が妙であった。

ついでに、彼の死を追うかのようにして、レイクもその年の瀬
に死んでしまったのは全く意外であったが、彼の場合は長らく
闘病していたということで、それは想定内であったようだ。
これでプログレ界のレジェンドの一つであったELPの終焉が決定
されることになった。もっとも活動は既に停止していたが。
(ELP活動後期には、レイクとエマーソンの不仲が決定的になっ
ていたようだ。少し頭を冷やしてから活動を再開した方が良かっ
たように思う。レイクの歌声がそれ以後、あまり聞かれなくなっ
たのは実に惜しいことのように思える。まだまだ隠遁するには
若かったからである。それにエマーソン・レイク・パウエルと
して復帰する頃には美声が失われたいたようで完全復活とは
言い難かった。)

さて、エディのキーボード奏者としての実力の一端を示すものと
して、"Curved Air"在籍時のアルバムである"Lovechild"の中
の小品作品である"Joan"を聴いてみることをお勧めする。この
アルバムは"Curved Air"解散前のもので不完全燃焼のものである
ようだ。LPでは正式には見たことがなかった。
この曲は1分少々で唐突に終っている。本来はもう少し長くした
かったのではなかろうか。1分少々というのは、プログレ系では
異様に短い時間であるからだ。普通の曲としても2分はかけたい
ところだろう。
しかし、そうした不満はあるものの、この曲は素晴らしい出来と
言える。ちょうどラベルの「水の戯れ」と似ているが、Joanの方
がもう少し躍動感があり、色彩感もあるように感じる。つくづく
これが1分少々で唐突に終わってしまったのが悔やまれるところ
である。
なお、彼のバイオリンの腕前についてはUKでよく示されるところ
だろう。また、彼はギターの腕前も披露していて、所謂マルチプ
レイヤーである。
 

訂正

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年12月30日(土)16時53分52秒
  下記の曲名は違っていた。
私のお薦めは、"What you never know"であった。
これは一年の最後でもある紅白の最後を飾るのに
ふさしいと思えるのである。
 

紅白の補足

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年12月30日(土)16時42分19秒
  紅白歌合戦は、NHK肝いりの番組であるから、
これに対しては資金を潤沢に使うことができ
ると考えられる。
しかも、この出場歌手の出演料は比較的安価
に抑えられているということであるから、この
浮いた資金で海外の有名アーティストを紹介
するということにすれば、もっと盛り上がる
ように思われる。
海外の有名アーティストは東京などでは見ら
れても地方では見る機会がないだろうからで
ある。
そこで、例えばサラ・ブライトマンの海外
中継を放映すれば大きな関心を呼ぶだろうと
思われる。彼女こそ真の歌姫にふさわしいと
言える存在だからである。
例えば、HAREMというアルバムに収録されて
いる"What a wonderful World"という曲が
聴けるというのであれば、熱心に見ようと
する洋楽ファンが増えることだろう。
安室氏が中継で放映されるというのである
から十分に可能である。
一方、これに対する白組の方は例えば、
アート・ガーファンクルが適当であろう。
どちらも歌謡曲というジャンルと全く違和感
がないからである。
 

野口五郎氏

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年12月30日(土)12時30分37秒
  ついでに彼について言えば、面白いことがある。
長野県の地図を眺めているときに、野口五郎岳
という山があるのを見つけた。
しかし、山名に歌手の芸名をつけるとはふざけ
ていると思ったものである。
或は、そうではなくこの山に縁のある人の名前
を付けたとしてもそのように思うことだろう。

しかしながら、山名よりも彼の芸名の方が早い
ということは考えられないわけであるから、事実
は逆で、彼の方がこの山名にあやかったという
ことのようである。ちょうど適当な山名があった
ということですな。
因みに、この山名であるが、野口というのは野口
村のことで、五郎というのは山肌が岩などで
ゴーロゴロしているからということのようだ。
というわけで、誰かの名前とは全く無関係なので
ある。(紛らわしい名前をつけるんじゃない!、
というお叱りを受けそうな山名だ。そんな芸名を
つけた野口氏はダジャレに理解のある人なのだろ
うと思われる。尤も、これは所属事務所の意向
であったかな。)
 

紅白出場歌手

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年12月29日(金)23時38分27秒
  これを見てたら、この顔ぶれがなかなか興味深い。
全く知らない新人が多いのは恒例になったようで
あるが、これには全くコメントできない。

さて、この中に"X JAPAN"も入っているのだから、
B'zだって入っていてもよさそうだが、どういう
選考なのだろうか。CD売り上げ枚数からすれば、
人気はB'zの方が高そうである。
因みに、"X JAPAN"も一度も聞いたことがないの
だ。これは近くの図書館に無かったことによる。
大きな図書館であれば置いてあるのかもしれない。
このリーダーはなんとなく、エディ・ジョプソン
と似ているので聴いてみようかなとは思っていた
が、その機会が無かった。どちらが上なのかとい
うことは興味のあるところだが、おそらくエディ
の方に軍配が上がるだろうと思っていた。
なお、彼がUKに在籍していた頃、日本に公演に来
たことがあり、これを観に行くことになった。
やはり、すごくカッコ良かったことを覚えている。
真のイケメンとは彼のような者を言うのではある
まいか。ただ単に美男子なだけでない、卓越した
テクニックと知性の持ち主だろうからである。
例えていえば、木村氏と坂本氏のいいとこ取り
が彼であると言える。(しかも、このどちらよ
りも勝っているのではあるまいか。)
そのように、彼はアーティストであり、単なる
アイドルではないのである。この辺りは"X JAPAN"
の彼にも通じるところだろう。
ただ、この公演にはUKの真の立役者と言えるアラン
・ホールズワースが居なかった。なので、UKの1st
アルバムのライブを堪能することはできなかった
のが悔やまれるところである。彼がいないUKは
ハードロック寄りのものに思えた。もともと天才
肌で気難しいところがあったのだろう。1stアル
バム発表後は脱退した。

さて、他には郷ひろみも出場している。
この御三家の中では、アイドル性は高いものの
歌唱力は他の二人に負けていたと思っていたの
であるが、時が流れて残ったのは彼というのは
意外だった。秀樹や五郎はどうしたのだろうか。
しかも世代交代が進む中、彼が残ったのは実に
意外だったということでもある。

しかしながら、我々世代からみた紅白出場歌手
は全体的には選考基準のよく分からないものの
ように思えた。昔は人気以外に歌唱力や大御所
感が重視されていたように思えるからだ。
若者迎合ということでもないし、視聴者の多数
を占めるであろう高齢者側寄りの選択というこ
とでもないようで、私には全く選考基準が掴め
ないのである。
私には、現在のJ-POPと歌謡曲の断絶性を無理
やりゴチャマゼにしたような違和感だけを感じ
るのである。これらを一つの枠に押し込もうと
すること自体が無謀なのだろうと思える。
 

1%の支配階級

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年12月29日(金)11時29分43秒
  これは100人に一人くらいの高知能の持ち主にすぎないと
考える向きがあるかもしれない。
学級で一人くらいはかなり賢いという人がいるのを思い
出すことだろう。しかし、そのような人でもあまり大し
たことはないと考えるかもしれない。
そのような見方は実はあまり正しくない。
中等教育では全生徒が同程度のものしか学ばないが、
大学以降では、本来の学問というべきものを学ぶこ
とになり、その格差は非常に大きくなる。
したがって、彼等の優位性は単に高知能だけに止ま
らないのである。彼等は過去の賢人達が拵えた梯子
を昇っていくことになるからである。その賢さは
過去の賢人達の知識に由来するものである。
例えば、ブルバキのあまりにも高遠なる高みは過去
の数学的天才達の業績を元にして生まれたものであ
る。つまり、単なる天才とみなしがちな人達も過去
の業績の上に立てば、遥かなる高みに到達すること
ができるということである。
このことは、サルがいくら努力しようとも、人間の
知性には敵わないということと似ている。知識があ
るものとそうでない者とはそれほど大きな違いがあ
るということである。
つまり、1%の支配階級とそれ以外とでは極めて大き
な断絶が生じ得るのである。
非常に高レベルの知識を創造し得るのは天才のよう
な優れた人々であるが、これを理解し得るのは1%と
いった高知能の者に限られるだろう。(おそらく
実際は東大生でも1割くらいがそれに該当するにすぎ
ないと思われる。私は私立の理工系の大学に通って
いたが、ブルバキ系の解析学の本であるシュバルツ
解析学はどれも借りられた形跡が非常に少なかった。
これは関心が薄かったからというよりは理解するの
が容易ではなかったからだろうと思われる。)
例として、ゲーデルの不完全性定理に関する論文を
読んでこれを理解できる者がどれくらいいるだろう
か。
そのようなわけで、大学を卒業する頃には、1%の支配
階級の人間とは天と地ほどの開きが生じ得るのである。
そして、この溝は絶対に埋まることはないのである。
まるでサルと人間のような意志疎通を欠くことになる。
表面上は挨拶を交わしたりなどして、意志疎通が可能
であるかのように考えるかもしれないが、専門分野に
関して言えば、全くそのようなことはないのである。

ノイマンが社交上の席で示したようなお茶目な態度に
惑わされてはならないのである。科学上の業績に関し
ては殆どの人々は全く追従できなかったのであるから。
それは協同研究している(天才以外の)科学者も同様
であった。
彼はあまりにも人々と異なることから、宇宙人とも称
されていた。おそらくそのような人々のみが社会に
君臨するだろうということである。
現在は経済的に裕福であれば支配階級に属することも
できるが、将来は淘汰されることになるだろう。
 

最終形

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年12月29日(金)03時09分26秒
  というのは、一種のポテンシャルの底であるともいえ、
これに落ち込むとそこから逃れることは難しくなる。
したがって、重要なのはそこに落ち込む前に状況を変
えることなのであるが、空気ばかりを読むという人々
が多い現況からすると、これ自体が一種のポテンシャル
の底であるともいえ、この改善は難しいのかもしれない。
少なくとも、その意識改革が為されない限り、何も変わ
らないだろう。
教師が求めるような回答を考えるという時点で、既に間
違っていると言える。なぜなら、それは真の回答にはな
り得ないからである。

アインシュタインもガロアも教師には嫌われていたので
ある。もちろん彼等の方が正しかった。教師の想定する
答えが常に正しいとは限らないのであるから、空気を
読むという態度は改めるべきだろう。批判したくないと
いうことであれば、沈黙を守ることである。少なくとも
迎合するよりはましである。
 

AIと勝負する?

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年12月29日(金)01時59分1秒
  ある京大の教官の講演を聞いた女生徒が、感想を求められて
「知識だけが必要な仕事は、やがてAIに置き換わると聞いて、
そのとき求められる力は、…(以下略)」
という発言を読んで、この女生徒は現在起きつつあるパラダイム
シフトを全く理解していないのではないかと思われた。
仕事というのは大概が定型パターンのものであり、創造性を発揮
することができるのは、一部に人間に限られる。大多数はコン
ピュータにできない仕事の方に追いやられていくのが、現在進行
している社会状況と言えるだろう。
今は、まだAIの発展途中であり、この最終形を判断することがで
きないのだろうと思われる。おそらく非常に多数の人々は仕事に
あぶれることになる筈である。
医者さえもが不用になるかもしれないという状況の中で、一体
どれほどの人々が社会に求められることになるだろうか。
暇があればさらに仕事を要求されるというような状況の中では
人間はますます過酷な環境に追い込まれることになる。
これはコンピュータソフト開発の現場をよく反映している。
開発がより便利になればそれだけ多くの仕事が増えて、結局は
何も楽にはならないのである。むしろ、より高度な知識などが
求められ、それだけ適応できる人間が限られてくるのである。
人間社会はそうした状況を変えるべき時が来たと言えるだろう。
つまり、暇があればあくせく働くというこれまでの生き方を変
えるべき時が来たということである。すなわちこのパラダイム
シフトが起こるべきだということである。
将棋などのように、もはやコンピュータに人間が伍していくと
いう時代は終わりつつあるのである。コンピュータと競争しよ
うなどという考えは全く古いと思われる。それではますます
生きにくくなるだけであるからだ。
つまり、その場合にはより単純な作業に従事するか、または
より高度で創造的な仕事をするかの2択となり、この中間の仕事
がなくなってしまうということである。前者はほとんど奴隷同然
の生き方であり、それが大多数を占めるということになる。
そして、後者はそれらの人々を支配するという状況になるだろう。
現在も、経済的な支配階級と奴隷階級とに分かれつつあるが、
未来はより顕著な形になって現れるだろう。奴隷階級は決して支配
階級に上がることはできないだろう。それほど知的相違が大きいと
いうことである。
これは大学の数学に反映されている。それを理解できる者がどれほ
どいるだろうか。おそらく1%もいないのではないかと思われる。
そして未来はそうした真に優れた者だけが支配階級に属するという
ことになるだろう。これは現在の社会システムからは必然的に生じ
る事態と言える。
したがって、その未来に向かって進む人々はその状況に対してどの
ようにするべきかということを考えるべきなのであり、コンピュー
タと競争しようなどというのは全く愚かなことだと思われる。
むしろ、仕事から解放されて自由な時間を持てるようにすることが
本質的な解決となるだろう。そうでないと、向上も望めないからで
ある。
大学に入ってもアルバイトばかりしているのでは、何も知識が身に
付かないという状況と同じだということである。必要なのは勉強す
る時間を確保することである。それ以外に本質的な解決方法がない。
そうした状況を作り出そうとしない限り、1億総奴隷状態となること
だろう。
 

事務計算の仕事

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年12月27日(水)20時04分24秒
  このプログラムが大体、データの移動だけとなって
しまうのは次のことによるものだろう。
事務計算とは大概がお金の管理である。
従業員の給料であるとか、売り上げ金や支払い金の
管理であるとかになる。
お金は自然に増えたり、減ったりはしないので、こ
れはある場所から別の場所への移動が基本的な変化
となる。これは原子の場合と似ている。
お金とは自然に増えるものでもなく、減るものでも
ないからである。(もっとも日銀のように貨幣を
供給する場合は別であるが、基本的にはお金は保存
されるものである。誰かがニセ札を作るとか、どこ
かにお金を紛失してしまったとか、火災に遇い、お
金が消失したとかの自然増減はあるとしても、基本
的にはお金は自然に増えたり減ったりはしないもの
として取り扱われる。原子でも核融合や核分裂によ
る原子の自然増減はあるものの、それは例外的事象
と見なすのと同じである。昔は、そんな事象は殆ど
なかったわけであるが、現在は原子力発電が広く行
われることになって比較的当たり前のこととなった。
閉じた世界で行われるだけなら誰もとやかく言う人
は居なかったが、原発事故が起きて、その甚大なる
弊害が生じて、初めてそれに目を向けることになる。
しかしながら、この基本的な態度はそれを閉じた世界
に閉じ込めようとすることである。それによって何事
も無いかのようにすることができるのである。臭い
ものには蓋をすれば良いという論理である。これに
よって本質的な解決は為されないものの、外部への
悪影響は防げるということになる。)

また、お金を管理するところから、各「場所」での
総量計算が必要となる。つまり、お金を種類毎に分
けて、その総量を計算するという作業も生じる。
したがって、データ移動以外には、データのソート
や累計を取るというのが主な作業となる。他には
せいぜい利息計算が必要となるが、これは単純な計算
にすぎない。(複利計算式は単純な式であるから。)

ただ、銀行などの場合、お金を集めて、それを活用す
るという仕事が生じる。この場合には、株や債権等の
計算が生じ、これは経済学的な数理計算処理が必要に
なる。
(ブラックショールズ理論とかの計算式である。理論
のことは知らなくても良く、計算式はそれほど難しい
ものではないから、この作業自体は簡単である。だか
ら、これも結構楽であった。その理論を知るべきなの
はそれによって儲ける人達であり、我々はそれには
全く関与しないのであるから、それはどうでも良いこ
とである。つまり、要求仕様通りに作れば良いだけで
ある。)

しかし、経済では昔から使われてきた用語が多く、
「手垢」が付いているようであまり気持ちの良い言葉
ではなかった。もっと情(儲け心理など)を排除して
論理的に用語を定義した方が良いように思えた。でな
いと、商売人の感情がこちらまで流れてくるようであ
ったからである。我々はただそれを計算するにすぎず、
商売人の儲けとは何の関わりもないのであるから、そ
の感情表出は無用なものである。
それも私が事務計算の仕事を嫌がった理由である。
 

windows世界

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年12月26日(火)23時04分51秒
  そういえば、windows世界の奇妙な光景を思い出す。
時は、windows3.1の頃の話である。
この頃は、パソコンはまだ高級なものであった。
それ故、高級感を出すためか、それとも値段の妥当性
を示すためか、分厚いマニュアルが付属していたのだ。
MS社の最大の売り製品はパソコンのOSであるが、OSだ
けでは何もできないので、売りとなる応用ソフトも
必要で、その最右翼がオフィス御用達のOfficeであった。
これはWORDとEXCELなどから構成される。
それで、OSのマニュアル以外にこれらのマニュアルも
付属していたというわけである。どれも分厚いマニュ
アルである。しかも、個別に購入しているようで、
パソコン台数分のマニュアルが置いてあったのである。
全くそっくりのマニュアルが棚に並んでいる姿は壮観
であったとともに、全く意味のないものだと思った。
図書館のように、本を陳列するという場合、普通は違
う本を並べるものだからである。
しかも、素人が読んでも判らないような記述であった。
MS社は、パソコンをコンピュータ技術者だけが利用す
るものと錯覚しているようであった。
しかし、我々でもそのマニュアルには閉口した。
何かしようとしても、その記述や方法を見つけるのが
困難だったからである。
 

重大な訂正を忘れていた

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年12月26日(火)00時07分25秒
   A - B = A + ((2~n - 1) - B)) + 1 - 2~n
で、かなり違ってた。

例としては、A=3で、B=2とすると、A=011で、
Bは010となる。(2~4-1)は1000-1=111となり、
(2~n-1)-B=111-010=101となる。これは
要するに、Bの各ビットを反転すれば良いと
いうことになる。したがって、
A-B = 011 - 010 = 011 + 101 + 1 - 1000
     = 1000 + 1 - 1000 = 1
になるということである。このように七面倒
くさい手順となるものの、コンピュータにす
れば加算だけで済むのでその方が回路効率が
よいことになる。
因みに、負数もあるため、最上位ビットは
符号ビットとなる。例として
0111は7であるが、1111は-1となる。
これはお約束なので、最上位ビットをどう
するかというのはデータをどう取り扱うか
という定義による。
 int A
は整数データであるが
  unsigned int A
は正の整数データとなる。
 

訂正

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年12月25日(月)23時31分5秒
  世界は小学生以下の思考世界に変わったわけであるから。  

コンピュータのこと

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年12月25日(月)23時28分22秒
  現在、コンピュータはAIと呼ばれるように人間
よりも賢いものと看なされるようになった。
確かに、演算の高速性と大きな情報量及びこの
操作性において人間はコンピュータには叶わな
い。
ただ、人間の優位性は神に由来するところの認
識性である。何のロジックの形成なしに物事を
見たり聞いたりすることによって何事かを認識
し得るのである。
これは下等な生き物であるカのようなものでも
同様である。カが空間を認識して自由自在に飛
ぶということは意外に難しいものである。第一
2次元の認識自体が難しい。
まず直線の判断からして難しい。それが曲がっ
ているのかそれとも真っ直ぐなのかということ
は意外に難しいのである。
これは幾何学の体系がユークリッド幾何学なの
かそれとも非ユークリッド幾何学なのかによっ
て変わってくるからである。非ユークリッド
幾何学においては曲がっているのを「真っ直ぐ」
であると認識することになる。つまり、直線と
いうのは自明ではないのである。
早い話、眼鏡をかけると世界は非ユークリッド
幾何学に移行するわけである。始めは頭が痛く
なる(?)ほどであるが、そのうちに慣れて
それが当然な世界と思うようになる。このよう
に人間の認識は偉大である。

さて、現在は人間よりも賢いと看做されるよう
になったコンピュータであるが、これは機械は
演算に忠実だということにも因る。人間は思考
に「莫大」なエネルギーを必要とするために、
思考の節約が求められることになるのである。
そこで、小難しいことを考えると、頭が痛くと
いう反応をすることになるわけである。これで
は演算を忠実に実行することは難しいのである。
この点がコンピュータとの大きな動作上の違い
である。100点満点の者と99点の者との大きな
違いでもある。
そのように賢いコンピュータであるが、実際に
は非常にプリミティブな思考の持ち主なのであ
る。
データは0と1の2値しかなく、演算は2進法の
足し算のみである。論理演算はAND、OR、NORだ
けとなる。
では、引き算はどうするのかという小学生の
疑問が生じるだろう。これは単純さの便利さが
如実に現れてくるもので、以下の計算によるも
のである。
 A - B = A - ((2~n - 1) + B)) + 2~n
という式を用いるのである。
(2~n - 1)というのは全ビットを反転したもので
あるから、容易に論理演算から生成することが
できる。後から加える2~nは元からないビットで
あるから無視すればいいということになるのであ
る。
足し算と引き算およびビットシフト機能があれば、
掛け算と割り算も実行できて、算数の基本である
四則演算が可能となるのである。

そのように単純なことしかできないコンピュータ
の相手にすることになって、自分の知性は小学生
以下になってしまったようで耐えられなかったが、
慣れとは恐ろしいもので、まぁ「世界」はそんな
もんでしょうという認識となった。(それまでは
ブルバキの高等数学世界にも馴染み始めていたわ
であるから、なんと下等な世界に落ち込んだのか
という落胆が非常に大きかったのである。世界は
小学校以下の思考世界に変わったわけであるから。)

しかし、やっぱりそんな世界は面倒くさいので、
少し高級な言語に移行することになった。次は
全く高級言語のCOBOL世界である。これは非常に
記述が楽である。ま、人によってGOTO文が多い
ことによるスパゲッティ社会が大きな不満とも
なるわけであるが、それでもアッセンブラより
は遥かにましな世界である。
COBOLは事務計算用の言語であるから、これは
大企業の事務計算処理に用いられた。やること
はデータの加算や引き算、データの移動である。
データを右から左に移動するのが主で、そのう
ちそれに一体何の意味があるのかという本質的
な疑問が生じてくる。
ま、物に溢れている部屋における「仕事」と
考えれば良い。この中で作業するには、物を
移動させることが主な仕事となるのである。
しかしながら、全体としては何も仕事などし
てはいず、せっかくの「仕事」もまた元の
状態に戻っただけということが多い。事務
計算の仕事は作業に慣れるとそのようなもの
であった。右から左へのデータ移動に一体何
の意味があるのかという問いが常に生じるこ
とになった。要するに、飽きたということで
ある。飽きるとつい余計なことを考えたくな
るのが人間の常である。人はそれを間違えて
向上心と呼ぶことがある。
それで制御系の仕事に移り、UNIXの仕事をす
るようになったのである。この言語はc言語で
ある。COBOLのように大型計算機を使うわけで
なく、それよりは小型のコンピュータである
ミニコンなどとなるわけで、となれば資源食い
の高級言語は使えないということになるのであ
る。
これはこれでまた奇妙な世界となる。今までは
言語仕様通りのコンピュータ世界であったが、
c言語はアッセンブラ言語世界と高級言語世界の
中間世界のようなもので、しばしばこの世界間
の移行が生じるのである。
あるときは高級言語世界で考えていても、バグ
が発生するとアッセンブラ世界に立ち戻って考
えるという必要が生じることにもなった。
まるで量子世界における粒子像と波動像の混在
した世界とも言える。粒子像だけで考えていて
も、突然訳の判らない波動性が生じるというわ
けである。これがc言語随従者の悩みの種、また
は仕事の種ともなるわけである。
時は流れて、世間にはパソコンが広く蔓延るよ
うになり、このwindows世界に染まることになる。
これはマイクロソフトの作り上げた世界である。
これはこれで悩みの種が生じた。この社特有の
論理世界に付き合う必要が生じたからである。
日本人は物を使いやすいようにするのが一般的
であるが、西洋人は論理を大事にするのである。
したがって、ある論理にしたがって物事を作り
上げることになる。それが独特であればあるほ
ど馴染みにくい世界となって閉口するというわ
けである。早い話が、初期のWORDは非常に使い
にくいものであった。
アッセンブラの小学生世界にも閉口し、COBOL
では人は何のために生きるのかという哲学的
世界に困惑し、次にはc言語の「量子的世界」に
も困惑した。最後には、何で他人の作り上げた
世界に強制的に合わせる必要があるのかという
理不尽世界に困惑したというわけである。
そのようなコンピュータ世界であったが、最近は
コンピュータも賢くなって、人間に合わせるこ
とができるようになってきた。これはAIの登場
によるものである。ところが、これはこれで問題
が生じることになって、コンピュータができる
なら人間は要らないという究極の世界が現れた
ということである。これは本末転倒世界と言える。
 

関東の名門公立高

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年12月25日(月)02時09分19秒
  湘南高校、彼が言うところの実績では、東大合格者公立高
トップということであったが、これは神奈川県内でという
ことだろう(違ったかな?)。2005年の場合には東大9名で
あった。
一方、関東の北の雄たる埼玉公立高トップの浦和高校では
東大27名で、こちらの方が勝っているようだ。
昔は学区が違ったようで、湘南高校の方が良かったのかも
しれないが、彼から明確なことを聞いていなかっため定か
でない。人口からすれば神奈川の方が多いわけであるから
湘南有利と見るかもしれないが、神奈川は私立が充実して
いるようで、優秀な人間はそちらに流れることも多いわけ
であり、一該に人口によって判断できない。

 (以下は長い補足もしく蛇足である)
因みに、浦和高校卒の人と一緒に仕事をしたことがあり、
この知的レベルを伺い知ることができた。彼は確かに頭が
良かった。プログラマーというのは、ヒエラルキーとして
は大企業等の下請け仕事が多いわけであり、あまり高くな
いことから、優秀な人は比較的少ないのが通例であったか
ら意外に思ったのである。近年は就職難になったことから
ソフトハウスにも優秀な人材が集まるようになったという
ことだろう。
或は、プログラム開発の現場が3Kのような状態から開放さ
れ、世間から華やかなものとして認知されるようになった
ことも大きいだろう。
昔は、給料はそこそこいいものの、残業・徹夜などが多く、
悲惨な状況であることが多かったのである。月100時間を
超える残業は普通であった。しかも仕事はハードである。
仕事量が多いため遊んでいる暇はないのである。リアル
100時間超の残業となるのである。
それでも机に座って指を動かすだけであるから、肉体的
にはあまりハードでない。徹夜での眠気さえクリアできれ
ば比較的楽である。
しかし、問題なのはデバッグと他人の作ったプログラムの
メンテである。おそらくこれでノイローゼとなり、リタイ
アする人が何割か出てくるのだろう。
プログラムは言語仕様通りに動くものと考えるのであるが、
これは間違いである。なにしろC言語は高級言語とは異なり、
何でもありだからである。
メモリのどこにでも書ける(実際には違うが)という利点
がある一方、本来のデータ領域以外にも書き込めるという
ことで、プログラムのロジック通りに動くというわけでは
ないからである。
だから、数学屋ならお気楽な仕事と考えるかも知れないが、
実際にはそんなに生易しいものでない。
プログラムはロジック通りには動くわけではないという前提
に立って、デバッグを進めていく必要があるからだ。
(C言語はもともとメモリ搭載量の少ないワークステーション
向けに開発されたものであり、OSをアッセンブラで記述する
のはたまらんということで使用されることになったものだ。
アッセンブラよりは遥かに楽であるものの、安全性に関しては
何も配慮が無かった。このため、プログラムが始終「落ちる」
という状況が生じることになったのである。また、そのよう
なわけで、ソースをどのようにアッセンブラに展開するか
によって動作が変化するという事態にもなった。これは
ソースコードは全く同じでも他の機種に移植すると動かなく
なったりという事態を生じさせた。(バグが無ければ基本的
に動作は同じになるという前提であるが、潜在バグがあっ
ても問題なく動作することも多く、見つかっていないとい
うことがよくあるのだ。それでコンパイラが変わることよ
って、そのバグが浮き上がるということになる。もちろん
それは非常に少数であるが、しかしプログラムというのは
100点でなければ正しく動かないものであり、少しの間違い
によって動作不良となることが少なくないのである。
成績で100点満点の者と99点の者とでは大差ないものと思う
かもしれないが、コンピュータにとってはそれは異質の者
同士である。この点が比較的ロジックにいい加減な日本で
はソフトに弱いという状況を生んでいるのだろう。ハード
は優れているが、ソフトはアメリカに及ばないというの
はロジックに対する考え方の相違によるところが大きいと
言える。これは言語的特徴から生じるものだろう。)
これはCOBOL等の高級言語ではあり得ないことなのである。
パソコンはメモリ搭載量が少なかったのであるから、当然
このC言語を用いて記述されることになった。当時は他に
めぼしい言語が無かったからである。それにワークテスー
ションのOSはUNIXで、この開発言語はCであった。つまり、
業界ではC言語が標準であったのである。)

また、近年ではC言語からC++への移行が顕著になったが、
これはプログラムを容易に書けるという利点が生じたものの、
結局仕事量はその分増えるわけであるから、C言語の場合よ
りも楽になったとは単純には言い切れない。つまり、楽に
記述できる分、担当量は増えるわけである。
ということで、これは別の問題が発生することにもなる。
それはブラックボックスが増えるということなのである。
これはクラス化によるブラックボックスのことである。
そして、プログラムは主としてクラス化された関数を使用
することになる。これはデータと関数群を一纏めにして、
モジュール化し、これによってプログラムを積み上げると
いうものである。(つまり、プログラムを積み木で作るよ
うなものと言える。しかもこの積み木は如何様にもなると
いうわけである。積み木は関数だけによっても作ることが
できるが、これはデータとの関連性がないために、一種の
「開放系」である。まぁ、ヒゲがあるようなものと言える。
したがって、それはブラックボックスとして扱えないとい
うことになる。つまり、それは常にプログラム解析の対象
になり得るということである。全てを自分で作っていれば
どこがおかしいかは大体見当がつくとしても、実際の開発
は複数人で行われるものであるから、大概は他人が作った
ところを疑うということになる。このため人間不信が増強
することになるだろう。これはプログラマーの性質として
頭の隅にでも置いておけば何かの役に立つことだろう。)
以前は強引に配線を引き回していたわけであるが、これで
はスパゲッティのように訳が判らんものになるという業界
の要望に応えて開発された言語である。
それで多少は解読が容易になったものの、結局そのクラス
関数が何をするものなのかという解析が必要となり、読解
容易性は似たような状況でもあった。
ある程度長く同じ仕事をするのであれば楽になるものの、
プログラマーというのは常にあちこちを飛び回ることが
多く、その度にまた全体を理解するという必要に迫られる
わけである。というわけで、C++もたまらん、ということに
なるのである。
 

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