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空気を読む

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 8月22日(火)19時50分16秒
  という妙な風潮が生じたのも(もっともこれは昔から
だったと思われる。以前は常識であったから、特に
言われることが無かったのだろうが、最近は自己中な
人が多くなったようでもあり、この当たり前のことが
世間的に主張されるようになったのだろう)、他者を
自己の世界観の中心に置くということから自然に生じ
たものと思われる。おそらく、中国人やアメリカ人で
は考えられない主張であると思われる。
なぜなら、周りの雰囲気に合わせる、つまり他人の言動
に合わせるということは自己の主体性を失うものとなる
からである。
それは自己の中心性を失っているが故に、外部的世界に
意識の関心が向かっているという状態にあるからだろう。
これは認識におけるカメレオンなのである。外部が変化
すればそれに応じて自己の意識も「色」を変えるという
ことになるからである。おそらくそうした傾向は後に
自己の意識を喪失するということになるのではないかと
考えられる。脳が正常であれば自己との関連性を維持し
得ているだろうが、脳は自然に退化していくものである
から(刺激がないとシナプスが縮退していくことから)、
ある限界を超えれば自己を認識し得なくなると考えられ
る。
 
 

自己中

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 8月20日(日)01時33分24秒
  これは人々に嫌悪されるべき性質と見なされて
いるが、自己中心性は重要であり、これが希薄
になるほどに自己の能力が減退するようになる
という意味では、「他者中心主義」もまた問題
がある。
他者を尊重するという態度が自分にとって望ま
しいことからそれを肯定することになるのだが、
一方では他者依存を強める結果ともなり、そし
てその欲求が満たされない場合、反感を覚えた
り、強圧的にその欲求を満たそうとすることに
なるものだからである。(基本的には人間も利
己的観点から行動するものである。そうでない
という場合、それは拡大された利己性から生じ
ていることが多いだろう。仲間の為と言うのは
拡大された「自我」における利己性から説明
できるだろう。少なくとも一方に利益があり、
双方に不利益が生じない限り「自我」は肥大
していくことになるだろう。知的に不活発な
人はこの拡大を望ましいものと認識するだろ
う。これは飲酒における酩酊の心地よさと似
たものだろう。知的能力は退化するものの、
脳の興奮性が増大することを望むというわけ
である。もっともこれには限度があるが。)
そのように全てのことには両面があり、この
バランスを保つこと、つまり中庸性が重要であ
ると言える。
 

自己認識の崩壊

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 8月17日(木)04時02分31秒
  以下より、自己を同定し得るのは自己認識という
ことになり、この認識が曖昧になるほどに自己と
の繋がりが弱くなるということになるだろう。
これが自己認識の崩壊ということである。
この端的な変化は容姿に現れることになるだろう。
一方、外面には現れにくいが心理的な変化はすぐ
に現れることになる。

特に美人においてはその変化が顕著に現れること
になると考えられる。また、人口密度の高い都会
ほど自己認識の崩壊が起こり易いと考えられる。
例えば、日本海側の方が美人が多いようであるの
は、気候も関係するのだろうが、冬は雪に閉ざさ
れるということが関係していると考えられる。
白人でも北欧に美人が多いというのと似ている。
また、言語でも相違があるだろう。自己を主体と
して見る言語とそうでない言語とでは自己認識の
強さの相違があると言える。
例えば、日本語は客体を主とみなす言語と言える。
そして、このことが言語的性質を変化させること
になるのだと考えられる。
また、構造的言語であるほど論理的思考を要する
ことになり、これは自己に主眼が置かれるという
ことになるだろう。なお、客体意識の強さは両刃
の剣となろう。
また、性別による相違もあると言える。一般的に
男性の方が客体意識が強いだろう。そして、これ
も容姿的な相違をもたらすのだと考えられる。
一般的には男性の方が「情報的エントロピー」が
高くなると考えられる。
 

ピラミッド

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 8月12日(土)20時20分57秒
  以下のような神の概念はピラミッド的なものと言える。
つまり、神とはピラミッド全体のことだということで
ある。
外からは荘厳なものに見えるが、それには最底辺のもの
も含まれるということである。したがって微生物も神的
構成物の一員ということである。また、任意な状況も神
的構成物を為すということである。
 

相関性の導入

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 8月12日(土)20時00分9秒
  は、様々な状況においてよく認められるものである。
一般的には知的に「未発達」な人がそうでない人に
対してよく行われるように認められる。
この代表的なものが幼児や子供(小学生から中学生
が多い)である。彼等は知的発達の要因を外部に
求めようとするのだろう。
一方、他者の強い関心の対象となり得る人はその
行動性はあまり認められない。これは顕著な相違
である。
 

神的概念

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 8月12日(土)19時48分58秒
  今まで、神というものを一般的に定義されなかった
ためにこの存在性に疑念が持たれていたわけである
が、以下のような一般化により、この存在性が明ら
かになると思われる。
この一般化により、今まで極めて奇妙に思われてい
たことが合理的に説明され得ることになるが、こう
した神に対する一般化的概念を受容するのはかなり
抵抗があるだろう。
それは神に対する通俗化になる一方で、あまりにも
深淵すぎる概念となるだろうからである。
また、神に対する理想化された概念は全く正しいも
のとはいえないことになるからである。それは結局
のところ人格神にすぎないのである。

もう一つの問題はそのようなことが果たして可能な
のかという問いがあるだろう。以前なら相対論によ
って光速度以上の相関関係は存在しないと否定され
ただろうが、現在は量子力学が誕生することになっ
て、そうした相関性が示されている。
また、物質と精神が独立であるなら、自己同一性は
どのように保証されるのかという問題が生じること
になる。つまり、それぞれの肉体は宇宙空間を非常
な高速度で運動しているにも関わらず、私という
意識はこの肉体に留まり続けていることの説明が難
しいということである。(慣性座標系で考えれば、
位置はだいたい固定しているとみなすことができる
かもしれないが、地球はさらに自転していることか
ら、それぞれの肉体は慣性座標系にはないのである。)
これは一般的相関性により説明されることだろう。
したがって、一般的相関性は必然的な仮定とされな
ければならない。そして、この考えは実に現実とよ
く合っているのである。
易占がなぜ当たるのかという理由もそれによって説
明されることになる。
 

もっとも

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 8月 5日(土)21時31分44秒
  その通常の覗き穴は各々の眼に限定されることになるが、
これはもっと一般化され得るものだろう。
 

神はサイコロを振らない

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 8月 5日(土)21時26分27秒
  と述べたのはアインシュタインであるが、これに対して
ボーアは「アインシュタインさん、神がどのようになさ
るかなど、人間が注文をつけるべきではありません」と
いうようなことを述べた。つまり、神がサイコロを振る
かどうかなど人間には決定できないことだというような
ことを述べた。これはもちろん、彼の見解を擁護した
発言である。科学に対して主観的なものと見なされがち
な神を持ち出して、自然はかくあるべきというのは正しい
見解とは言えないということを述べたかったのだろう。

しかし、これはどちらも正しいのだと思える。
つまり、物質そのものを指す場合にはボーアの言い分が
正しく、物質と(人間)精神を含める場合にはアインシュ
タインが正しいのだと思える。
彼の直感は後者であったから、そうした結論が出たのだろ
う。これは我々の多くが思っていることであると考えられ
る。しかし、それは現代物理を信奉する人々によって抑圧
されているのだろう。
物理学者の唱える理論に真っ向から反論をするのはかなり
難しいからである。
一方、物理学者は現象の客観性を言うために、実験に人間
による干渉を含めることはしない。したがって、物理現象
はボーアの言い分の通りとなるのだろう。ボーアは量子
状態は人間の観測によって定まると述べたが、人間がその
確率に干渉することはないと考えた。結局のところ、理論
に人間精神が関与(干渉)することはないと考えたのであ
るから、彼の言い分では物質のみの考え方であると言える。
もちろん人間による干渉について言及したのでは、理論の
客観性が失われることになるだろう。この意味において物
理学とは物質に関する理論ということになる。
もちろん、人間による干渉が実験的に明らかにされる場合
にはそれを理論に含める必要があるが、そうした実験は
皆無であったのだろう。或は、そうした実験は排除される
必要があったのだろう。
実際には、人間同士には不思議な干渉が働くようであり、
これは物理的作用によって説明されるものではない。
量子力学的相関性が言われることもあるが、そのような
性質のものではない。したがって、物理的には説明され
得ないものと言える。これは明らかに人間の方が物質より
も上位的存在と考えるべきものだろう。つまり、物質の
状態を人間が決定すると考えるべきものであって、した
がってこれからは物質と精神とは異なるものという二元
論に行き着くだろう。

精神状態によって肉体の状態が変化するというのはよく
言われることである。実際には外部環境も含めたものに
ついてもそれは正しいと言える。各々は外部環境も含め
た物質の状態を決定し得ると考えられる。この外部環境
は人間も含まれるのである。この場合には各々によって
決定されるというよりは、「神」によって決定されると
いう方が正しいだろう。しかしながら、全ては神の部分
と考えればどちらも同じこととなる。つまり、各々の
決定は神の決定ということになる。これらの違いは神の
部分をどのように決定するかということになる。
この極限が「神」と一致するということになる。それ
以外は全て部分神となるだろう。したがって、部分神と
いうのはある全体でもある。因果関係はこの全体を考慮
する必要があるだろう。つまり、あることが何者かによっ
て為される場脚、この本当の原因はその行為者にのみあ
るというよりは、この行為の受益者全体が関与するだろ
うと考えられることである。情報的結合関係はより複雑
なものだからである。

物質が三次元的なものとすれば(実際には時間も関係す
るので四次元的のものであるが)、それとは独立な「次元」
があるということになり、したがって現世は四次元以上の
ものという結論となるだろう。三次元という「平面上」で
は物理学は正しいということになるのだろう。物質次元は
上位次元より見られるものということになる。したがって
物質次元を認識するということは、この上位次元が存在し
なければならない、という一般則が言えるだろう。
この上位次元性により、情報的透過性が生じるのだと考え
られる。とすれば物理的壁や距離は意味を為さないという
ことになるが、これは「現実」をよく反映していると思わ
れる。
 

ヒエラルキーでの上昇率

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 8月 3日(木)03時52分17秒
  によって行動性が変わってくるということが予想
される。つまり、上昇率が高いほど、その行動性
を取り得るということである。
これとしては正常な努力によるものと、ゴマすり
によるものが代表的と言える。
一般的に中間に位置する場合には、下方へのガス
放出(ロケットと同じだ)と上からの引き上げ
が最も効果的となるだろう。
下方へのガス放出だけでは、互いのガス放出によ
って有効に上昇することは難しいと言える。
したがって、それらはペアとなるのである。
 

訂正

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 8月 3日(木)03時37分47秒
  他のもう一つの立場は、知的ヒエラルキーの上位に
位置したいということに因るものだろう。

彼等はそのためにはその集団を必要とし、かつその
集団に認められようとすることになる。学校はその
集団の一つであり、テストはその認知方法の最たる
ものとなるのである。

彼等は常に前にぶら下げられたニンジンを追い続ける
馬のようなものである。馬がいくら走ってもそれに
追い付くことはないことから、人間はその愚かさを
冷笑するが、実は人間も同じことをしているのである。
彼らがそれに意義を見出すのはヒエラルキーの上位に
位置することを認識することによってであるが、この
行動性は猿の行動性に由来するものと考えられる。
猫族とは全く異なる行動性である。人が猫に癒される
のは猿的行動性からはかけ離れているからかもしれない。
人間はそれに疲れ果てているのであるから。
 

基本的に

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 8月 3日(木)03時30分8秒
  パラダイムに乗っかっている限りにおいては、その基礎
についてあまり悩む必要はない。基礎に対する考察が
必要になってくるのは、その基礎による見解に対して
疑念を持つ場合ということになるだろう。或は、それ
を深化、発展させる場合ということになるだろう。
私は前者の立場である。
他のもう一つの立場は、知的ヒエラルキーの上位に
位置したいというに因るものだろう。これは基本的
に点数の上位に位置したいというのと同じである。
つまり、点数による成績ヒエラルキーが存在する場合、
高い点数を取るほど上位に位置することができるので
ある。初等、中等教育ではこの競争原理にしたがって
生徒を学習に向かわせるということになる。
これは100m競争と全く同じ性質のものである。しかし、
この意義は何かということを問うことはしない。ただ
生徒というのは「暇」なものであるから、それでも
問題はないのである。彼等は仕事から解放されてい
るのであるから。
しかしながら、暇な時間をどのように過ごすかによっ
てその未来が大きく変わり得るということを知らない。
この意味では、暇というのは真なる暇であることを意味
しない。暇を何かを為すべき義務的なものと捉えること
のできる者のみが大成し得ることになる。例えば南方氏
はそうした一人と言える。
 

(無題)

 投稿者:なし  投稿日:2017年 8月 3日(木)00時24分51秒
  と、単位の分解、自己共役作用素を積分形に スペクトル分解
やぱ、まともに理解しようとすると難しい 分からんw


 

(無題)

 投稿者:なし  投稿日:2017年 8月 2日(水)00時43分28秒
  数列二乗と二乗可積分空間の同型性  

(無題)

 投稿者:なし  投稿日:2017年 8月 2日(水)00時30分58秒
  ディラックがそれをやったと、確かなっとくする 量子力学 にあった
え?と思った
 

訂正

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 8月 2日(水)00時14分46秒
  行列力学はヒルベルト空間上で考えることによって
両者は同等なものとみなせることになるが、この
数学的証明をしたのがノイマンであった。
 

量子力学

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 8月 2日(水)00時12分2秒
  これには行列力学と波動力学の二つの考えがあるが、
これらはシュレディンガーによって理論の同等性が
証明された。
行列力学はヒルベルト空間上で考えることによって
両者は同等なものとみなせることになるが、この
代数的証明をしたのがノイマンであった。
有界行列と無限次元の行列とでは扱い方が異なる
にも関わらず、行列力学の考案者の一人であった
ボルンは同じようにできると考えていた。しかし
これは数学的には正しくはなかったということで
ある。
これは両者の同等性を証明するものにすぎないこ
とから、物理学者が量子力学の基礎を問題としな
いかぎりにおいては特に知る必要はないというこ
とである。(楽に理解できるならばそうではない
だろうが、物理学者が理解するのは大変だろうと
思われる。これは全くの数学書であるから。仮に
も物理の専門家たる者がいい加減に理解して良い
というわけにはいくまい。素人ならなんとなくの
理解でもよいというわけである。したがって、
素人でも理解できるようなことが物理学者に理解
できないということがある筈はない、ということ
にはならないだろう。何を以って理解したという
ことが明確でない限り、この議論は不毛である。
ま、一般的にはそのように言われているというこ
とである。もしある物理学者が理解できたと公言
したなら、すかさず突っ込まれることになるので
はあるまいか。だから、決してそんなことは公言
できないということになるだろう。私人と公人の
違いとでも言うべきか。或は、素人と学者の違い
とでも言うべきか。)
因みに、後にディラックがデルタ関数を用いて、
簡単に証明したために、ノイマンのは忘れ去られ
ることになったようだ。
ノイマンはそれが悔しくて、delta functionのこと
をdelta fictionと呼んで批判したが、この関数は
後にローラン・シュワルツの超関数によって証明
されることとなり、結局ノイマンは白旗を上げざる
を得なくなった。
とはいえ、ノイマンによって広く数学者にも量子
力学が受け入れられることになり、この功績は大き
い。
 

(無題)

 投稿者:なし  投稿日:2017年 8月 1日(火)20時20分53秒
  ノイマンの
理解できないというより、知る必要ないんでは?
理論でない物理学者にとって
クーンが言っていたが、科学研究はパラダイムを受け入れ、範例の模範により進む
実際の研究に基礎の理論は役立たないからでは?
 

和算の伝統

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 7月30日(日)00時57分19秒
  は未だに引き継がれているわけである。
これは高等数学を学ぶという段階になって
も全く同じということのようだ。
以前はそれは計算技術のようなものであっ
たから、それはあり得たのだが。
理論全盛となった今日では、結果を演繹的
に提示するという「論文スタイル」が最も
スマートであろう。
「何々を知っている」かという「絵馬」を
掲げるのは如何なものか。
そういえば、彼は飲み屋のネーちゃんにも
同じ様なことをしていたが、それはあまり
にも場違いなことと言える。相手は素面で
はないだろうから、おっさんの世迷言を
まともに相手にすることはない筈なのであ
る。
 

訂正

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 7月30日(日)00時39分33秒
  何を学ぶべきかなど私などに尋ねる必要は
全くないのである。(それに私はその者の
習熟度を全く知らないのであるから。)
何を学ぶべきかを尋ねるというのは、高校生
のように初歩的段階を学び得ていない者だけ
が妥当とされるのである。

だから、高校生は先生に何を尋ねても恥ずか
しいことではないが、それは一般論としては
正しい態度ではないのである。
大学生たる者はまずその態度を改める必要が
あろう。もはや初心者ではないのだから。
 

そうしたら

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 7月30日(日)00時32分32秒
  私などに尋ねる必要は何もないのである。
何を学ぶべきかを尋ねるというのは、高校生
もちろん、具体的な状況に即して、何を読めば
良いかを尋ねるということはあるが、一般論と
してはあり得ないことだ。それは当人の習熟
程度と関係するものであるから。つまり、それ
にしたがって決定され得るということである。
 

一般論として

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 7月30日(日)00時24分39秒
  言われていたし、確かに妙な論法だと思ったのは
確かだ。普通は単に極限をとるだけであるから。
しかし、解析学全体としては瑣末な技術にすぎな
いということに気づく。もっと根本的な改革が為
されていたのであるから。
それに対して、日本での観点は依然として高木氏
に代表されるような解析学(解析概論)であった
と言える。
もし大学の教程をブルバキのようなものにすれば、
殆どの学生は理解できないものとなるだろう。
彼はそうしたものを学んでいるようであるが、
結局は観念論にすぎないとも言える。つまり、難
しそうなことを覚えているということにすぎず、
実用性に乏しいのであるから。
したがって、スミルノフに代表されるような実用
的なものも覚える必要があるということである。
物理ではスレーター・フランクのが代表的である
と言える。これは高度な数学は用いないながらも、
高度な内容のものを説明していた。
また、代数ではファン・デル・ベルデンのものが
良いと思えた。
大学の初歩的な段階ではこれらのレベルが妥当と
言える。といっても、内容は結構高度である。
近年のブルバキ的傾向というのは必ずしも正しい
傾向とは言えない。これはかなり程度の高い学生
向けと言える。知識を覚えるだけなら可能である
が、実際にそれを使いこなせるかということにな
れば、大いに疑問符が生じる。そうであるなら、
それは単なる飾りのようなものにすぎず、この効用
は単に誰かに自慢するためだけの知識になり果てる
のである。
そうした知識は単に覚えるのではなくて、徹底的に
理解するという態度で臨む必要があろう。そうして
遥かな高みに到達し得るのである。これはシュバルツ
解析学の最初に述べられていることでもある。
つまり、涙なしの(高等)数学は存在しない、という
ようなことが述べられている。
 

(無題)

 投稿者:なし  投稿日:2017年 7月29日(土)11時08分16秒
  εδ そんな難しいことないと思うが
他、コーシー(基本)列

 

(無題)

 投稿者:なし  投稿日:2017年 7月29日(土)10時44分24秒
  大阪にて
 

学的右傾化

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 7月27日(木)22時37分54秒
  学問の世界も右傾化が進んだと言えよう。
何のことかといえば、理学関係の洋書の翻訳書が
少なくなった、ということである。
これが顕著になったのは、'90年代以降ではなかった
かと思う。これはまさに日本経済の頂点を示す時期
と当たっている。つまり、日本は既に経済大国とな
り、もはや外国の後塵を拝す必要はなくなったと考
えた時期と一致しているように思われる。
 しかし、学問の世界ではやはり欧米の方が優れて
いたと思われる。それがほぼ失われたということが
現在の停滞の原因の一つになっているのではないだ
ろうか。その後、ノーベル賞を受賞する人はよくい
たが、これはタイムラグがあり、そうした人たちは
'70~'80年代頃に大学で学んでいた人達であったろ
う。ノーベル賞受賞者数は必ずしも現在の状況を反映
しているわけではないのである。
現在の視点から見れば、実に多くの良書が失われてい
ることがよく分かるこの頃である。当時はあまりにも
当然のことであったが、実はそれは稀有な状況であっ
たということに気づかされる。
例えば、セールス的には全く振るわなかったと思われる
ブルバキの数学原論やシュバルツ解析学も大きな書店に
は並ぶことがあったのである。前者は現在の視点から
すれば少し古典的になったかもしれないが、後者はコン
パクト性からその価値はいささかも減じてはいないと
思われるのである(それでも邦訳全7巻であるが)。
大学で学んだ微積分の教科書とはあまりにも違う内容に
驚いたものである。この分かりにくさで有名であった
ε-δ論法など瑣末なことにすぎないということがよく
分かった次第である。
また、物理学では極めて特徴のあるゾンマーフェルト
の物理学シリーズがあった。これはランダウのシリーズ
とは双璧のようなものであったろう。物理科の学生であ
れば、ランダウのものとゾンマーフェルトのものを学べ
ば、優れた研究者になり得ると思われた。(しかし、こ
れは東大か京大のトップクラスでないと時間的などに難
しいだろう。大学の勉強の余暇に行うものであるから。)
 

勉強

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 7月26日(水)00時37分16秒
  この目的はテストで良い点数を取ることである。
良い点数を取れば、教師から良い評価を与えられる
ことになり、成績表に反映されることになる。
成績が良ければ親に褒められることになるが、悪ければ
叱咤激励を受けることになろう。つまり、これが最終的
結果ということになるだろう。これはおそらく小学校か
中学2年生くらいまでで、後は高校受験や大学受験に合格
するということが目的となるだろう。
つまり、勉強とは結局のところ受動的なものである。誰か
が定めた問題意識によって必要な知識が規定され、それを
盲目的に覚えるというのが勉強と言える。
もちろん、それらの知識は有用であることが多いが、問題
なのは盲目的に覚えようとする行動性なのである。こうし
た勉強態度は常に他から与えられた知識のみの習得に限定
されるか、または闇雲に覚えようとするかのいずれかとな
るだろう。このどちらも正しい勉強態度とは言えない。
前者は真に必要な知識を逃すことになるだろうし、後者は
必要のない知識の習得に時間を無駄に費やすことになるだ
ろうからである。そして、無駄に覚えた知識は他者との
知的優劣の比較のために用いられるのが関の山ということ
になる。したがって、彼等は常に比較対象を求めるという
ことになるのである。
少なくとも大学生以降は、何のために勉強するのかという
目的意識を持って勉強する必要がある。でないと、効率的
に知識を習得できないからである。何故なら、高度な知識
を習得するのは、それ以前に増して非常な知的努力と長い
習得時間を要するだろうからである。したがって勉強の目
的を定めない限り、完全なる習得を目指すことは大多数の
人にとって不可能なことと言える。高校までは比較的初等
的であっために教科書だけでも理解できるが、大学以降で
はそれが難しいのである。したがって、大学以降は自立的
な勉強態度が必要であると言える。
 

集団性における努力について

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 7月23日(日)23時21分20秒
  日本人は集団性が強い民族といえ(これは日本人に
限らないが)、一般にある集団ができると個々の関係
性を強化しようとすることになる。
そして、常に他人を意識することになるのである。
他人のことはどうでもよいが、自分だけは無視された
くないとか、他人よりは頭一つ優れていたいという
思いに駆られ、努力することになる。(スポーツも
同様である。優勝者は一人または一つの団体に限ら
れるのに全ての者がそれを望み、虚しい努力を繰り
広げるのである。優勝してもその持続期間は驚くほ
ど短い。その意味ではその努力には全く見合わない
報酬と言える。)
彼は自分で勝手に書き込んでおきながら、無視される
と常に不満を持つのはいかがなものかと思う。当方は
全てにレスすることはできんのだ、という自明の理が
未だに分かっていないようである。(彼は暇な人間と
思っているようだが、君が思っているほどには暇では
ないのである。誰かが自分の日記帳にでも書いていれ
ば良いのにと言っていたが、昔はそうしていた。今は
ネットがあるので、こうした場所が現在それになった
ということにすぎない。)
 

最近は

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 7月23日(日)22時47分28秒
  数学はブルバキ的なものが普通になって、
それが高尚さの自慢話のようになってしま
った感があるが、それは木を見て森を見ず
のようなものであろう。
森全体を俯瞰してから、初めて個々の木が
生き生きと見えるものだからである。

数学科でもないのに、ノイマン環なんてあ
まり必要でないと思われるが。まず目的も
なしに勉強してたら、よほどの天才でもな
い限り無限の時間を要するよ。
実際には他人よりも賢いということを自慢
したいがためにするのであるが、まぁ虚し
い努力の一つで、これは初等・中等教育に
おける悪しき習慣であろう。(他人よりも
良い点数を取るためにだけ勉強するという
ものであるから。)
 

しかし

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 7月23日(日)21時48分31秒
  意外にもそれを懇切丁寧に解説しているものが
あまりなかったな。やはり一番理解しやすそう
なのが、スミルノフ高等数学教程だった。
これは素晴らしい数学書であるが、現在は絶版
である。
一般にソビエトの学者が書いたものは「観念的」
でなく理解しやすいものが多いように思える。
一方、ブルバキは「観念論」的であり、これは
数学におけるカント或はヘーゲルのような存在
とも言える。部外者にはちんぷんかんぷんである。
しかし、非常に抽象化し得るために、一般論的
思考が可能となるだろう。だからこそ、このメ
ンバーが多数のフィールズ賞を獲得できたのだ
ろうと思う。

おそらく、「ブルバキ」化は物理学でも可能と
思われるが、まだ物理学は発展途上であるとい
え、それはまだ実現できないだろうと思われる。
そもそも、ランダウ並の物理学者が多数現れる
必要があるのだろう。このためにはやはり天才
群が必要なのである。秀才群では常に他の追随
で終わってしまうのである。そして、その知を
誇るということで満足してしまうのである。
もっとも学生にとってはそれは必要なものであ
り、有益であることには変わりがないが。
 

因みに

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 7月23日(日)21時32分5秒
  数学科の某氏はルジャンドル関数を知らないと言って
いたが、数学科でも知らないということに驚いた。
基本的なことだと思っていたので。
方程式の解法そのものは大して難しいものではない。
数学科なら容易に理解できるようなものである。
 

君は

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 7月23日(日)21時27分45秒
  一体何を学ぼうというわけ?
物理科の学生でもあまり必要のないものだと
思うが。おそらく物理科の大学院生辺りが読
むようなものだろう。(ノイマン氏の著作は
物理学者でもよく分からないと言われた代物
であるが、君は容易に理解したと聞いて驚嘆
した。その君が私に何を尋ねようというのだ
ろうか。)
なぜ、そこまで高度な知識にこだわろうとす
るんだろうか。
普通はシュレちゃんの波動方程式で十分な筈。
このためにはまず古典力学の波動方程式が
解けるようになる必要がある。
この解法は、一般的には冪級数展開による
常微分方程式の解法を勉強する必要があるよ。
ま、これで基本的な水素原子の場合が解ける
というわけだ。
後は、近似法で解くということになるね。
 

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