[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ teacup.コミュニティ | 画像 ] [ 検索 ]

投稿募集! スレッド一覧

他のスレッドを探す  スレッド作成

[PR]   滋賀の求人・転職  
teacup. ] [ 無料掲示板 ] [ プレミアム掲示板 ] [ みんなの掲示板 ] [ 無料ブログ ] [ チャット ]

全77件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。 1  2  3  4  5  6  7  8  |  《前のページ |  次のページ》 

ネト充

 投稿者:にんげんごっこ  投稿日:2008年 8月 1日(金)17時50分47秒
  リア充ならぬネト充。
そんな言葉があるのかはしりません。
ネットをしていてふと思いついた言葉です。
意味は、リアルでは空気・廃人な無気力人間であっても、ひとたびパソコン画面の前に座ればやる気が湧いてくるような人間のことです。
そんな人間は、結構ネット住人の中には多そうです。
ネットでは、活発なように見えたとしても、案外画面の前にいるのは、現実では全く目立たない人間であったりもします。
人間は誰でも表現欲を持っているものです。
普段、現実で「根暗」な方はそれが満たされていない場合が多く、その代償で、ネットでは饒舌になります。
そういう方にとっては、自己主張の場が確保されるようになったネット時代は非常に喜ばしいものであるのに違いありません。
しかしその一方で、ネットに安住の場を見出してしまい、現実でますます自分の殻に篭る危険性があるのもまた事実です。
ネットを現実逃避の手段とせずに、有効な使い方をしていきたいものですね。
 

(無題)

 投稿者:蝙蝠  投稿日:2008年 7月 1日(火)18時26分27秒
  「あなたには、なにが本当に大切かを見抜く眼力が欠けている。また、たとえ見抜けても、それを習得するには、まず実行が肝要だ。
 顔の美醜を知りたければ、鏡を磨いて見るしかない。
 鏡を磨くのに必要な薬の有無を論じてもしかたない。
 心海の岸(彼岸)に達したいと思えば、船に棹をさすしかなく、船筏(いかだ)の虚実を論じても意味がない。
 道を聞いても歩かなければ、千里を行くことはできない。
 ひとさじの薬で病が治るのに、医学書をいくら読んだところで、それだけでは病気は治らない。
 毒箭(や)が当たったときには、まずそれをぬくことが先決だ。ところが、あなたは毒箭がどこから飛んで来たかを問うようだ」
 

(無題)

 投稿者:batman  投稿日:2008年 2月15日(金)23時02分24秒
  道を知っていることと実際に歩くことは違う。by『マトリックス』  

(無題)

 投稿者:batman  投稿日:2007年 8月10日(金)18時50分11秒
  宮台◇ 僕の言葉では「実存の問題と社会の問題を混同する輩」。公的表現に見えて、自分は正しいというセルフイメージの維持に関わる私的欲求に由来するがゆえに、観察や行動に手前味噌なバイアスがかかる。問題解決後に運動団体を解散すべきなのに、自分の居場所たる運動団体を護持すべく、必死で問題を探す輩。萱野さんはどう見ますか。  

「かけがえのないものを望む凡庸さ」

 投稿者:batman  投稿日:2007年 8月10日(金)18時35分6秒
  単行本版から文庫版へのマホの成長:田口ランディ『オクターヴ』解説

■98年の末から翌年にかけて猛烈な鬱を経験した。きっかけは熱心な若い読者の自殺だった。後に藤井誠二との共著『美しき少年の理由なき自殺』(メディアファクトリー)の主人公となった20歳の男性だ。症状がもっとも重かったときは、完全に寝たきりだった。
■朝から晩までベッドに入ったまま抜け出せない状態がまる2か月続いた。そういえば元々鬱的な気質があった。20代後半ぐらいから必ず1か月に1日か2日眠り続けた。年末になると必ず数日間寝込んだ。錆びた歯車の回転がだんだん落ちて回らなくなっていくのだ。
■ただ私は精神科医にかかったことがない。私は若い頃から精神科医を嫌ってきた。意味のない社会に適応させる「社会の奴隷」だと思ったからだ。このときも診てもらわなかった。だから薬も飲まなかった。ある日ふと「起きられそうだ」と思い、生活へと復帰した。
■読者の死がきっかけだったが、それ以前から無意味感に苛まれながら仕事をしていたのだと思う。1か月に1度あるいは年末に眠り続けるようになったのも、それが昂じたからだろう。ギリギリの状態でいたところに、読者の自死に直面して、奈落に落ち込んだのだ。
■回復してから著作の内容が変わった。00年に出版された『サイファ覚醒せよ!』(筑摩書房)から「〈社会〉から〈世界〉へ」というモチーフで執筆するようになった。因みに、〈社会〉とは可能なコミュニケーションの総体で、〈世界〉とはありとあらゆる全体だ。
■人の悩みはたいてい〈社会〉の問題だ。モテるモテないとか、出世するとかしないとか、鍔迫り合いをどう制するかとか。鬱を経て、自分はそういうことに全く関心がないことに改めて気付かされた。確かに政治についても書いてはきたが、政治にも全く関心がない。
■確かに性や宗教のフィールドワークも旺盛に展開したが、人の営みとしての性や宗教に関心があったかと言えば違う。むしろ、どうでもいいと思っていたからこそフィールドワークした。うまく言えぬが、そうした営みを通じて見えてくる〈世界〉にこそ関心があった。
■鬱からの回復は、自分が元々そういう人間であることを思い出したのが契機だった。人が営む〈社会〉でなく、〈社会〉を含めて大きく拡がる〈世界〉にしか惹かれないという体質。同時に、鬱の原因が〈社会〉の重力(への適応)にあるのだということも分かった。
    ★    ★
■こうして気付けたのは、20年以上前の最初のタイ旅行の記憶の御蔭だった。空港に降り立った時の匂いと蝉の騒めき。灯をつけた途端に凄い速度で壁を逃げるヤモリたち。一台に五人が乗ったスクーター。車に轢かれたらバックして来て殺されると警告する現地ガイド…。
■今のタイとは全く違った。夜にはバンコク中に屋台が拡がった。怪しい店だらけだった。怪しげな人間たちが溢れていた。夏は雨期。プーケットも高波で泳げない。現地ガイドに泳げる場所に連れて行けと頼んだら、小さなモーターボートで離島に連れていかれた。
■恐ろしい道中だった。ウネリは10m近かった。トンネルを潜るかのようにウネリとウネリの間を進むが、ウネリを超えた瞬間、数秒の無重力状態になり、着水の衝撃が脳天を直撃する。なのに現地の裸の男たちは着座せずに手摺りにつかまり立ちする。肝試しらしい。
■けっこう落水で死ぬという。自分も死ぬのかな。ここで死んでも見つからないだろうな。見つかってもモーターボートに乗ることを誰にも言ってないから身元も分からないだろうな。自分はここでは名もなきクズみたいな存在だな──そう思ったら、突然ラクになった。
■荒波で木の葉のようにもて遊ばれるボートの中で、恐怖心が、突然、癒しに変じた。植物だって動物だって死んでも誰も気にしない。〈世界〉ではそれが自然だ。〈社会〉の重力から解放された瞬間だった。以降の私は、旅の間中、怪しい場所にばかり出入りした。
■旅が終わり、成田空港に降り立った。新宿行きシャトルバスに揺られる間、自分の名前を思い出し、名前にまつわる引力が戻ってきた。人の視線があり、言葉があり、役割があり、その中で負う義務がある。そう。誰もが〈社会〉の中を生きるしかない。仕方ない。
■でも〈社会〉にどれだけコミットするかどうかはどうとでもあり得る。そのことを初めて知った旅だった。このときの経験は大きかった。でもまだ自覚的ではなかったので忘れた。鬱になって、経験の意味を再認識した。だから、今は重度の鬱に陥らずに済んでいる。
    ★    ★
■〈社会〉を生きるしかないが〈社会〉にコミットする必要がないこと。それは本書で絶対音感からの解放として描かれる。多くの親は絶対音感が音楽家への道だと思い込む。ギャグだ。正に〈社会〉を象徴する。三歳からバイオリンを習った私にさえ絶対音感がある。
■そこには「意味以前の強度(絶対音感!)という意味」という逆説がある。似た逆説が昨今の〈社会〉には溢れる。ノスタルジーブームもまた「かつて人間が入替可能な部品ではなかった時代の体験をバーチャルに提供する情報サービスの入替可能性」という逆説だ。
■意味以前を望む者に提供される強度の意味。入替不能性を望む者に提供されるサービスの入替可能性。もっと言えば、強度を望む者の入替可能性。入替不能性を望む者の入替可能性。一口でいえば「かけがえのないものを望む凡庸さ」──成熟した近代特有の牢獄だ。
■「今ここnow here」でない「いつかどこか」を望むこと自体の「今ここ」性。「ここではないどこか」の「不可能性=nowhere」。それを知りつつ「ここではないどこか」を夢想する主人公マホは「どこでもない場所=nowhere」に旅立った友人を追ってバリに来る。
■単行本版(02)ではバリでトランスしたマホが友人ミツコと夢で会話する。《現実がどれかわからなくなったら気が狂ったりしないかな》と尋ねられた友人は《違うよ、マホ。現実がこれだと思い込もうとするから発狂するんだ》と答える。こうした経験が通過儀礼になる。
■かつて絶対音感で記号化された音しか体験できなかったマホは、帰京後《長いこと私を支配していた、あの絶対音感が消えていた。もう音は何の音なのかわからなかった。ただ、音だった》と、〈社会〉から自由に〈世界〉を触知できる存在へと翻身した自分に気付く。
■文庫版では設定が変わった。バリ滞在の通過儀礼を経て主人公が〈社会〉(の逆説)から──絶対音感から──解放される大枠は変わらない。ただ、バリ滞在のシークエンス全体に満ちていた変成意識的な感覚は、魔術師との交流のシークエンスへと制約されている。
■例えば前述したマホとミツコとの会話も、変成意識下の会話でなく、回顧された記憶の断片へとシフトしている。変成意識が魔術師との交流へと縮約されたことで、小説全体を覆っていた呪術的オーラが制約された。或いはマホとミツコとの距離がやや拡大している。
■この禁欲は何を意味するのか。ちなみに私自身の変化とも整合する。月一度は離島で変成意識に陷ることで辛うじて平衡を保っていたのが、鬱経験以降は「今ここ」を落ち付いて生きられるようになった。誤解を恐れずに言えば、これはステージの上昇なのだと思う。
■この不毛な世界を唯一無二と思わずに生き「続ける」には〈世界〉からの訪れが必要だ。その訪れを呼び込むべく、かつては変成意識を頻繁に要求した。だがステージが上がれば「今ここ」で〈世界〉が訪れる。変成意識は要らぬ。そう。正にマホは成長したのだろう。
■急いで付け加れば、この成長はペシミズムの深化と表裏一体でもある。タイもバリも沖縄も大幅に観光化された。変成意識はリゾートとして〈システム〉に組み込まれた。安易に〈システム〉の外を信奉できない。ならば「今ここ」を二重化して生きる他ないだろう。

投稿者:miyadai
 

(無題)

 投稿者:蝙蝠  投稿日:2007年 2月 7日(水)16時50分35秒
  後悔がしたい。悪いことをしにゆこう。──太宰治  

mixi

 投稿者:なかなか  投稿日:2006年 3月 5日(日)13時22分41秒
  ミクシにおります。(^ ^)  

submarine

 投稿者:蝙蝠  投稿日:2006年 1月18日(水)16時01分0秒
  mixiに潜行中(^O^)/  

覚悟!

 投稿者:なかなか  投稿日:2004年10月11日(月)04時16分6秒
  蝙蝠さん、これから色々足を引っぱるかもしれませんが、覚悟しておいて下さい!

、、、顔文字は、、、でも m(_ _)m こちらです。
 

ドーキンスの「利己的遺伝子」

 投稿者:蝙蝠  投稿日:2004年 7月23日(金)18時11分18秒
  「つねに非情な利己主義という遺伝子の法にもとづいた人間社会というものは、
生きていくうえで大変嫌な社会であるに違いない。
しかし、残念ながら、われわれがあることをどれほど嘆こうと、
それが真実であることに変わりはない」

「われわれが利己的に生まれついている以上、
われわれは寛大さと利他主義を教えることを試みようではないか。
われわれ自身の利己的な遺伝子が何をしようとしているのか理解しようではないか。
そうすれば、少なくともわれわれは、遺伝子の意図をくつがえすチャンスを、
すなわち他の種がけっして望んだことのないものをつかめるかもしれないのだから」
 

以上は、新着順1番目から10番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  7  8  |  《前のページ |  次のページ》 
/8 


[PR] 浄水器