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ホームページ移転

 投稿者:管理人(安武)  投稿日:2017年 1月29日(日)12時29分55秒
  管理人安武です。ホームページを移転しました。
http://gohpsan.web.fc2.com/roots/index.html
ブックマークの変更等お願い致します。
 
 

除籍簿

 投稿者:管理人(安武)  投稿日:2016年 8月 6日(土)10時11分57秒
  管理人安武です。
私は以前、古賀市役所で除籍簿を入手することができ、五代前の安武嘉右衛門(1700年代末の生まれ?)まで辿ることができました。ご参考ください。
 

(無題)

 投稿者:本籍が古賀市筵内だった安武  投稿日:2016年 8月 2日(火)19時56分0秒
  やっと今日、祖母と話ができました。
今年90歳を迎えて、記憶も曖昧なため仏壇周辺に何か手がかりになるものがないか聞いたところ、近親者が亡くなられた日にちに、名前や年齢がきさいされてました。

安武 幸三郎 1850年生(?)
安武 長兵衛 明治26年生 、私の曾祖父であるのは間違いないようです
安武 重長  明治45年生 、祖父

幸三郎さんと直接的な繋がりがあったかは確定してませんが、近親者しか記録してないはずなので身内には違いないかとおもいます。
また、家紋についてなどは調べてみたいと思います。
近親者で家系を知っている方が亡くなられているようで、苗字は違うのですが詳しく知った方が福間にいらっしゃるようなので、近々アポ無しででも伺ってみようかと思っています。
 

筵内村調査の近況

 投稿者:管理人(安武)  投稿日:2016年 7月21日(木)22時27分6秒
  一人での先祖調査はなかなか捗らないため、古賀市の古賀郷土研究会に参加して、4年前から古賀郷土の歴史の調査をしています。
調査と言っても歴史の基礎知識もないド素人ですので、先輩方のアドバイスを受けながらの古文書集めのお手伝いですが。

特に江戸期の筵内の古文書を調査していますが、古賀に関する古文書が非常に少なく、また休みの日も忙しく図書館にも行けていないため、なかなか集まりません。

このような状況ですが、筵内村に関する古文書に出てくる人名を列記します。

承応2年(1653)  安武太郎左衛門
元禄7年(1694)  庄屋清三郎
宝永元年(1704) 与兵衛、九兵衛、藤五郎
宝永2年(1705)  源兵衛
正徳元年(1711) 安武喜七(?)、宗念、嘉一
享保年間    糀屋 孫右衛門
享保2年(1717)  加市(嘉一?)(幕府の諸国巡見使の案内役)
享保4年(1719)  庄屋 加右衛門
享保6年(1721)  安武四郎右衛門
享保10年(1725) 半兵衛、助左衛門、加右衛門、次郎兵衛
享保12年(1727) 庄屋 三郎右衛門(嘉右衛門から交代)
享保15年(1730) 庄屋 藤五郎
享保17年(1732) 安武宗念
宝暦2年(1752)  安武四郎右衛門
明和3年(1766)  庄屋喜市
安永元年(1772) 庄屋彦市
寛政10年(1798) 大庄屋 吉十郎、組頭 藤右衛門
文化9年(1812)  庄屋 茂四郎、組頭 嘉市
文政3年(1820)  庄屋 新次郎、組頭 利右衛門
安政6年(1859)  庄屋 安武吉十郎、組頭 九右衛門、林平、宗八、八次郎、與吉、次吉、○三郎

安武宗念(いわい屋)、安武嘉一(松竹屋)は熊野神社の鳥居にも名前があるのですが、例えば庄屋職の清三郎、加右衛門、三郎右衛門、藤五郎はどこの家のご先祖なのか分かりません。

享保年間には糀屋が一軒、造り酒屋が三軒あったようです。筵内で酒造りに必要な硬水が取れたのでしょうか?

新宮町の横大路文書からは、寛政年間に古賀・新宮あたりの裏糟屋郡10数か村を取り仕切る大庄屋が筵内村にあったということが分かりました。

少しずつですが、筵内村の歴史を紐解いています。
もし古文書をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご連絡頂けますと幸いです。
 

宜しくお願いいたします

 投稿者:管理人(安武)  投稿日:2016年 7月21日(木)21時27分9秒
  管理人安武です。

筵内に広大な土地を持っておられたとのこと、家紋は「丸に剣梅鉢」でしょうか?
もしそうですと、筵内で庄屋を勤めた「松竹屋(まつたけや)」だと思います。

20年ほど前に安武幸文さんより松竹屋での酒造りのこと、家紋がうちと同じく剣梅鉢紋であることをお聞きしました。
また庄屋をされていた関係から、明治10年頃の筵内安武の屋敷番号と世帯主一覧を頂きました。

私の祖父の代まで筵内小路の屋号「かま屋」に住んでいましたが、松竹屋と数軒隣りでしたので、遠い親戚にあたるかも知れません。
どうぞ今後とも宜しくお願いいたします。
(現在は香椎に住んでいますが、私も福間生まれの福間育ちです)
 

初めまして

 投稿者:本籍が古賀市筵内だった安武(現在福津)  投稿日:2016年 7月19日(火)21時38分55秒
  以前より皆さんの記事を少しだけ見させてもらっています。
私は、亡き祖父より『先祖は、教科書にも載っている菅原道真の流である』、『自分(祖父)が子供の頃、福岡県古賀市の筵内一帯に土地をもっていて、隣の福間町(現福津市)までは、他人の土地を通る事なく行けた』などを聴いていました。
当時はインターネットなど無く、調べようとも思わなかったのですが、私自身の長男も祖父が私に伝えたであろう10才の誕生日を迎えたので、改めて自分達のルーツを再確認したいと思いました。
墓石にある家紋は梅が特徴的で、親族は古賀から糟屋郡に集中しています。家系図などは見たことないのですが、祖父・父・私共に長男で、曾祖父(名前は知りませんが…)までは家系図に記載されていたと聞いたことがあります。
古賀にいる祖母も90を越えていますが、次の休みの日にでも詳しく聴いてみたいと思います。
 

静岡県の安武氏

 投稿者:管理人(安武)  投稿日:2016年 2月13日(土)14時39分17秒
  管理人安武です。

甲斐武田氏流の安武家とは関係がないかも知れませんが、静岡県の安竹家に関する記載があります。

■「静岡県の名字」渡辺三義著
安竹(やすたけ)
安武と同流か。今川旧臣の安武氏は永禄十三年まで庵原郡松野郷(庵原郡富士川町)内を領す。安竹三右衛門は榛原郡千頭村(榛原郡本川根町)に住み、江戸中期、官林監理役をつとめた。

十数年前に伊豆半島の修善寺に行った際に「安竹」というバス停(伊豆市大平)を見つけ、静岡にも「やすたけ」という地名があるのかと気になって調べたのがきっかけです。

我が家が江戸期に住んでいた筵内村(現在の福岡県古賀市)に庵原さんというお宅が数軒あること、福岡県久留米市の海津城(武田家の海津城ではありません)の城主安武家は旧姓が「茨」「荊」(いばら)であったこと、今川旧臣の安武氏は庵原郡内を領していたことを付き合わせると、安武家は甲州や駿河に関係しているようにも思えます。


余談ですが、この筵内村に医王寺という有名なお寺があるのですが、その寺内に武田信玄の武将曽根内匠(曽根昌世)の子である曽根仁右衛門、源兵衛の二人の墓があります。

参考URL
http://hakataboy.com/temple/Fukuoka/KogaShi/IooJI/m.html

黒田藩の家臣齋藤家は元々甲州出身のようで、黒田家の福岡入城以降は筵内村を知行しています。齋藤家の親戚である曽根仁右衛門らがこの地で終焉を迎えたと記載がありますが、もしかすると、筵内村の安武家も甲州や駿河からやって来た?のかも知れません。

これも余談ですが、福岡市博多区吉塚に西林寺がありますが、ここに安武家の墓が50基ほどあるのですが、多くは菱紋(菱持、太陰菱、四つ目菱)を持ちいておられます。
 

武田菱の安武

 投稿者:関東の安武  投稿日:2016年 2月12日(金)18時22分24秒
  父方が安武性で、少なくともこの100年以上は埼玉・南東を所在とする家系です。

先祖について詳細情報が殆ど伝わっておらず、家伝の品なども特にありません。
唯一、墓に刻まれた家紋を見ると武田菱なのが、先祖のルーツを示しうる情報です。

家系図が残っていないだけに、
  甲斐武田氏を先祖に持つ=家紋が武田菱(苗字と相関なし)
が唯一の判別情報、というのは関東の武田系に割と有名です。


甲斐武田氏は、本家は21世紀の現在「武田」を名乗っているので当家は傍系のようです。

もともと甲斐武田氏だったところ戦国時代に敗戦し苗字を変えた結果、安武氏になった、
との言い伝えだけが伝わっています。

ここで「安」のルーツがよく解らないですが、
  武田氏の家系図(義光流甲斐武田氏)に安田氏があり、両家の頭文字を取っている説
が現在信じられています。
 

祖母の家紋が梅鉢

 投稿者:坂本  投稿日:2015年 8月13日(木)00時17分41秒
  菊池の祖父の家紋隅切り角違い鷹に嫁いだ祖母の家系を知りたい
 

新宮安武家

 投稿者:管理人(安武)  投稿日:2014年10月 6日(月)18時38分55秒
  管理人安武です。新宮安武さん、情報有り難うございます。「集落」とは上府でしょうか?

新宮安武家は立花道雪からの感状もあり、また、柳川に移った立花家家老職の安武家(現在は大牟田ご在住)の古文書にも、立花宗茂が棚倉へ移った際にお暇を頂き筑前国(新宮?)に戻ったという記述もあり、由緒ある御家柄ですね。
江戸期には横大路家と並んで庄屋職も務められたとお聞きしています。

私の先祖は古賀市筵内の出なのですが、数十軒もある筵内安武家はどこから来たのか謎で、新宮安武家を含めてルーツを調査しています。

その中で、家紋の類似にも着目しています。
新宮上府安武家は剣梅鉢紋だと思いますが、筵内安武家はこれに丸が付いています。

分家筋の家紋は、本家の家紋に模様が付加されると聞いたことがあります。そのため、新宮安武家から分家したのかどうか、関わりを調査していますが、なかなか資料を見つけることができません。(江戸時代初頭より筵内に住んでいるようです)

箱崎、吉塚、熊本合志、旭志などの安武家の家紋も調査していますが、久留米海津城城主の安武一族が使用していた剣梅鉢紋を使用している安武家は意外と少なく、私の知る限り、新宮、古賀しか見当たりません。
(家紋は仕える主君から拝領されるケースもありますので、途中で変更された可能性もありますが)

200年祭で配布された資料を拝見して、この謎が解けないか調査したいのですが、この資料は新宮町図書館等の公共施設でも拝見できるものでしょうか。

新宮安武家に関する情報を他にもお持ちでしたら教えて頂ければ幸いです。
 

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