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  1. 全力全開(1)
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さて

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 5月31日(木)03時02分25秒
  哲学者というのは、とかく科学を軽視しがちのようであるが、
これは哲学は数学を使用することがないのが理由だろう。
しかし、この認識は誤りだろう。
人間の認識もまた計量的なものであるといえるからである。
これと関係するのは情報理論であろう。
価値認識や美的認識は情報量と関係すると考えられるから
である。
そのような計量的認識論の名著としては、渡辺慧著になる
「知識と推測」がある。これを読めば、哲学だって数学を
無視することはできないと思うことだろう。
さらにそれはAIの開発にも必要になってくる筈である。
人間を超えたAIの開発では、単に人間の脳を真似るだけでは
不十分であると言える。数理的に設計することによって、
天才的AIが生まれることになるだろう。
 
 

しかし

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 5月31日(木)00時28分23秒
  高山に登ることの意義は、視界が大きく開ける
ことである。そして、下界がよく見えるように
なる。
広大な地球も宇宙から見れば塵なようなもので
あり、価値観の全てが変化することになる。
私にとって、ブルバキ山はそのようなものであ
った。
何のために登るかと問われれば、それが理由で
あったとも言える。全ては下界のことにすぎな
いということに気づいたのである。
人間は常に優劣を気にかけるものだが、非常な
高みから見ればどれも大差ないものに見えるの
である。
この点は名無しも同様であるだろうが、彼の場合
には依然として自分との優劣を気にかけているふ
しがある。
彼の場合には、常に己の優位性を誇示しようとす
る傾向が見られるからである。
 

ブルバキ山

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 5月27日(日)00時02分40秒
  学問もまた山登りと似たようなところがある。
ブルバキ山は数学の高峰であった。
たぶん、エベレスト級であろう。
私はそれまで千m級の山に登った程度であったろうか。
それで8千m級の山に登ろうというのだから、無謀な
試みであった。

その本には何の予備知識も要らない、全ては証明つき
だからである。したがって、必要なのは多少の論理的
推論能力だけであるというようなことが書かれてあっ
たが、これは宣伝文句であって、その字義通りに受け
取ることはできないのであった。
少なくともこの登攀には、3千m級の登攀の経験が必要
だろう。
後から思えば、少なくともファン・デル・ベルデンの
現代代数学は必須のようであり、これを理解してから
読めば、多少なりとも理解が容易になったことだろう。

さて、登山であるが、これは以下のことを考慮に入れる
べきだろう。

1.その山に登る能力があるか。
2.期間はどれくらい要するか。
3.それに対する費用があるか。
4.その山に登ることによって何が得られるか。
5.また、それによって何を生み出せるか。

1~4までは比較的明確に定まっても、5については不明な
点が多いだろう。しかしこれも重要な点であり、ある程度
予測を立てるべきである。

上記は学問についても全く同様と言える。学問をすること
は登山とよく似ているのである。
傍からはそれに登って何の意味があるのかという批判を受
けることになるだろうが、それに屈してはならない。
某氏は数学の勉強に対して批判的なことを述べていたが、
彼にはその価値が分からないのである。世間はそのような
人々で溢れている筈であり、したがって他人の意見を拝聴
しようなどと考えてはならない。参考にしてもよいが、そ
れに振り回されてはならない、ということである。

某氏の説教じみた発言は、他人を支配しようとする根性が
生み出すものだろう。説教者というのは常に自分を過大に
見せようとするものであり、それが目的ということである。
また、自分を過大に見せるためには、他人を貶めることに
なるものだ。そして、世間はそのような人々で溢れている
のである。
 

それは

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 5月26日(土)04時57分9秒
  大学生の初期の頃だから。この頃は哲学を
履修していたのである。
後に、ブルバキに転向したのである。
ブルバキ山の方が遥かに高峰に見えたのだ。
下記の映画の言ではないが、それに登らない
のは罪のように思えたのである。
因みに、哲学ならばライプニッツ山の方が興味
がある。
なお、ヘーゲルの方は邦訳に難があるのではな
いかと思えた。文学者特有の難解さで書かれた
ように思われたので。それで原書を読まないと
ダメかなと思ったのである。
ブルバキ山の明快さに比べて、ヘーゲルの言い
回しは何か奇妙に思われたが、それでも何か深
い実質があるのではないかと思った。世間で
は弁証法などというつまらないことだけが云わ
れているだけであったな。
私の関心は哲学的観点ではなく、物理的観点か
らのものであり、これが彼との本質的相違とい
うことになるだろう。
私は哲学山の住民ではないのだ。分析哲学とい
うものにはあまり興味はない。彼等が何を云い
得ているのかだけに関心があったにすぎない。
 

(無題)

 投稿者:なし  投稿日:2018年 5月25日(金)01時00分12秒
  分析哲学云々は、あまり深入りしない方がいいだろう
 

エベレスト

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 5月22日(火)05時44分50秒
  この遭難の映画を観た。
この中で、何故登るのかを聞かれたとき、誰も
明確に答えることができなかった。
エベレストは単に登るのが楽しいからというこ
とではない。これは苦難の連続であり、何かの
目的なしには登れない。
この目的というのは、単に栄誉を受けたいとい
うことに尽きるのだろう。ガイド登山であるの
だから、それによって何か達成したいというも
のではない。
そうであるからこそ、登山を途中で諦めること
ができず、大量遭難を引き起こすことになった
ようだ。
それは明確な目的もなく登ろうとすることに対
する戒めであるだろう。目的意識があれば、途中
で引き返すこともできるのだが、それがないため
に最初の目的を完遂しようとすることになる。

通行人もヘーゲル山に目的もなく登ろうとして、
それが実現されていないということなのである。

彼のその山登りを私が批判したために、彼の批判
が止まないというところだろう。それはヘーゲル
山登山を未だに諦めきれていないからなのである。
私はとうの昔に諦めた。そんなに暇じゃないし、
ドイツ語の原書を読むほどの語学力もないからで
ある。
 

蛇足

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 5月22日(火)05時21分21秒
  通行人というのは物を知らないようだ。
本をあまり読んだことがないのではないか。
しかし自分の無知を棚に挙げて、他人を批判する
癖は止めた方が良い。(少なくともなしの方が
数学とかは知っているようなのに、自分と同列に
置いているのは如何なものか。その無知を自覚
するべき。本の内容のコピーだと批判するが、
何も知らない者よりはましである。それに人間
というのは他から学んで知識を蓄えるものであ
り、この行為を否定するというのは無学な者で
あることの証左であろう。)
批判は内容に対して行うものだろう。それに
ただ罵倒したいのであればそれを直接言えばよい
のだ。
自分を含めて自戒のようなことを述べているが、
それは彼自身を除外しているのは明らかなので
ある。何故なら、彼はサル山の住民の一人
であるからだ。サル山では常に自分が偉いと思
い込むものだからである。そして、サル山の上
に登ることが向上であると勘違いしているのである。

山があるから登りたがるのだというのは至言で
ある。そこに山を与えれば、彼等はすぐに登ろう
とすることになる。それが向上であると勘違い
するからである。
彼はいい加減、物事を上下関係で判断すること
を止めた方がよいだろう。そんな態度では何も
学ぶことなどできないからである。
 

しかし

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 5月21日(月)01時24分53秒
  その神というのは八百万の神ではない。それは神を都合よく
利用するような概念だろう。これは神のある面のみを観る
というものだからである。そしてその不都合な面から顔を
背けることになるのである。したがって、それからは無情
さという観念が生じることはない。そこに神は居ないので
あるから。
しかし、神を合理的に普遍的なものとして観る時に、それ
は誤った認識であることに気がつくことだろう。全てのも
のに都合よく神が対応するというのは明らかな誤謬である
から。
世間は都合の良い神を求める人で溢れかえっているが、そ
こに神を見出す人は少ないだろう。幸運が起きたとき、そ
れを神に帰することはないだろうからである。それは真実が
ないからである。その信心は利己心から生じているものにす
ぎないのである。
 

無情さ

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 5月21日(月)01時08分0秒
  他に対して無情に臨めば、神はその者に対して無情に
臨むことだろう。
物事は全て機械的な物理的仕組みに従って起こって
いるという思い込みがある限り、彼等はそれを改める
ことはないだろう。知者と呼ばれる者ほどこの思い込
みがある。かくして、それは大いに蔓延り、神の無情
さが現実のものとなるだろう。つまり、大多数がそれ
に該当すれば、それが起こるだろうということである。
神の無情さは災難として現れるものだろうし、それが
起きたとき、それは単なる偶然と看做されることだろ
う。
これは自身に災難が起きたとき、それまでの行動を
反省するときに分かることだろう。そのような小さな
災難から学ぶことができる。
しかし、単純なる機械的自然観の者には決して悟られ
ることがないものであるが。
 

真実

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 5月20日(日)20時22分44秒
  味方にも誤謬や偽りはあり、敵にも真実や善意がある。
この真理を悟ることができない者がどうして賢人と
云えようか。
彼の者は、自分が可愛いだけのルサンチマンにすぎ
ない。下らないことに拘り、そこから一歩も抜け
出ることができない。したがって、決して真理に
到達することなどできない。
優れた者に学んだところで、それは死んだ知識に
すぎないのである。彼はそれをただ知り、物知り
として吹聴したいだけなのである。
しかし、そのような者は少なくない。それは真実
から遠く離れ、自己を過大に飾ることしかしない
者である。
そのような者は非常に多いが、それが産する物は
虚偽のみである。それは昨今の映画などによく反映
されている。

 

(無題)

 投稿者:なし  投稿日:2018年 5月17日(木)20時40分0秒
  今時本なんかにそんなまで深入りする奴は変人異端w
 

傀儡

 投稿者:通行人8  投稿日:2018年 5月17日(木)11時25分20秒
  松本でわかるように、その時に読んだ本の
劣化録音機なんだ。
イトー、なし、おれ。
松本なんて、活字信仰そのもの。
辿ると笑える。
イトーも、そしてその他も。
何もつけくわえているわけではないし。
虎の威を借る狐というか、鼬というか。や
 

しかし、

 投稿者:なし  投稿日:2018年 5月 4日(金)18時19分41秒
  池田信夫程度も理解できないなら、
そいつの知的程度に問題あると言えるw

マルクスは、グローバリストで近代主義者
西洋中心主義という批判もある
晩年にそれを反省したが

 

いずれにしても

 投稿者:通行人8  投稿日:2018年 4月13日(金)07時19分57秒
  この掲示板から歴史に何かを加える人が出てくることはなさそうな。
たんなる自慰だろう。
俺のもまた。
他人からみたら馬鹿そのものなんだろう。
俺は醒めたい。
 

人間

 投稿者:通行人8  投稿日:2018年 4月13日(金)07時10分48秒
  まだまだの段階だと言う方がいる。
なんかそんな気がしてきた。
次への段階への模索中なのかな。
 

認めてもらいたい

 投稿者:通行人8  投稿日:2018年 4月13日(金)07時07分11秒
  俺たちの動機か。
なんか逆の方向を歩んでいるようです。
 

インテリ

 投稿者:通行人8  投稿日:2018年 4月13日(金)07時02分11秒
  その多くが独りよがりの役立たずなんだろう。
その中から世界を変える人が出るのだが。
俺たちは万骨側だろう。
歴史に何も加えない。
それは覚悟していれば良いけど、できなさそうだな。
 

マルクス理解

 投稿者:通行人8  投稿日:2018年 4月13日(金)06時53分12秒
  マルクス翻訳は訳者が理解してないので原典に当たらないといけないことが多いらしい。
批判者が見当ちがいなんで、引用翻訳本検討したら訳が駄目であるなんてことが。
新約聖書も日本のインテリは惨憺たる理解らしい。

その程度たから、わかったふうなこと言うなということです。
まして俺たちなんかね。
なあ、イトー君。w
 

まあ

 投稿者:通行人8  投稿日:2018年 4月13日(金)05時40分6秒
  若気の至りってことか。
あとで臍噛んで死にたくならない程度にな、御同輩。
 

イトー、松本

 投稿者:通行人8  投稿日:2018年 4月13日(金)05時27分14秒
  某所で松本の認識論理解がいかに浅はかが述べられている。
かれは読んだ本のオウムで批判能力がないようだ。
イトーも似たり寄ったり。
それはともかくなしのマルクス批判は研究者は
侮蔑もしないな。
俺たちはその程度だろう。
若気の至りもほどほどに。
 

なしよ

 投稿者:通行人8  投稿日:2018年 4月13日(金)05時12分31秒
  あんたもイトーもマツモトも、戯れ言ばかりだな。
巣から出てこないほうが良い。
読んでいて恥ずかしい。
特にマルクス言及はやめておけ。
きちんとした批判はいたってマルクス研究者が多い。
あんたみたいなこと語ったら失笑されるだけだが、言ってもダメかな。

俺もそうなんだろうが、浮薄なインテリごっこだと気がついた。
笑い死にしそうだったが、イトーもなしも鏡だな。
 

(無題)

 投稿者:なし  投稿日:2018年 4月 8日(日)17時55分49秒
  池田の記事 とりあえず読んでみて
金融工学は練習問題でも、nを多くすれば正規分布になることされているが仮定されている

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51292439.html
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51490840.html
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51294758.html




 

(無題)

 投稿者:なし  投稿日:2018年 4月 8日(日)00時56分38秒
  ゴータ綱領批判は、パリコミューンの4年後に確か書かれた
その反省から、国家をプロレタリア独裁にすることを言った
マルクスは国家を経済的な下部の二次的派生物と考え、まともに論じたことはないのだが
 

(無題)

 投稿者:なし  投稿日:2018年 4月 8日(日)00時44分55秒
  そういえば、マルクスの書いたゴータ綱領批判を読んでいたが、
非現実的戯言のように思った

尚、池田信夫も引き合いにしてるように
ゴータ綱領批判では、社会主義国家や社民主義の
批判もなされるが
池田も言うように100年後には彼の理想=
生産関係を変え、労働者の共和制となること
が実現するかもしれない
 

(無題)

 投稿者:なし  投稿日:2018年 4月 6日(金)21時11分44秒
  西部氏の自殺幇助したとして捕まった 2人が

 

なし

 投稿者:通行人8  投稿日:2018年 3月31日(土)19時05分4秒
  叔父、叔父の君はいずこ。  

松本

 投稿者:通行人8  投稿日:2018年 3月31日(土)19時03分50秒
  読んだら憑依するボマは?  

(無題)

 投稿者:通行人8  投稿日:2018年 3月31日(土)19時00分32秒
  いとう、死んだのか?
 

(無題)

 投稿者:通行人8  投稿日:2018年 3月20日(火)20時38分21秒
  試験  

歴史的現在

 投稿者:通行人8  投稿日:2018年 3月 4日(日)04時50分53秒
  ブリゴジンは科学は始まってもいないと語る
学問、人間もそんな気がする
中世に毛が生えた程度と語る人もいる
通りすがりも松本もなしも自覚ないだろうが
俺たちはそんな程度だ
 

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